初めて与えられた言葉――――掛けられた言葉。

三つの戒め――――三つの枷。

酷く無機質に思えたあの響き。
感情という感情が全て削げ落ちてしまったかのような、そんな悲しい響き。

戒めを、その強制の呪を解き放つ時、いつも私の返事は決まっていた。
その……はずだった。


そっと左手に視線を泳がせる。
自らの手の甲。
何かに思いを馳せて、何かを想い、何かに呼びかけるように。

ため息が昇る。
見上げた空は青く、雲もほとんど見える事は無い。
上に伸びた視線に優しく風が絡まって、音も無く通り抜けていく。
まるで時の流れが具現化したように、その動きは自然だった。

自分には無い。
しかし自分にのみ働く、あの戒め。

静かだ。
とても心地よく、どこまでも透き通った透明な空気。
こうやって陽だまりの中で佇んでいるだけでも、その心は安らかになっていく。


そう。


ふと思い出した。


――――――――――セイバーっ!!
セイバー……―――――――――――


心を打つのは重なった二つの声。
二人の、主。
胸に響くのは遠く過ぎ去った記憶。

決して消えることの無い、そんな楔のような双響が、今は少し心地よい。
今までなら、ただ心を締め付ける鎖にしか成り得なかった響きが、今なら笑顔で思い返せる。

今なら、分かるから。
今なら、あの時の、あの言葉の意味が。
今なら、あの時の彼の真意が、痛いほどに分かるから。

空いている右手をそっと胸に当てる。
とくん、と伝わる鼓動。
感じるのは、二つの――――思い。

「ああ……やはり、彼は正しかったのですね」

無意識の呟き。
瞼を閉じると、いつでもあの光が甦る。
同じ光。
一方は地獄を、一方は日常へと続く、よく似た二つの光。

思い出せる。
いや、忘れられるはずなど無い。

光が導いたのは紅の煉獄。
かの器よりあふれ出た憎悪は全てを焼き尽くし、多くの魂を飲み込んでいった。
悲しみの声も、嘆きも、叫びも、苦しみも全て。

二度、破壊した。
およそ思い描いていた姿とは似ても似つかないような姿に変貌した聖杯。

今思えば何故、あのような禍々しい破壊の象徴とも呼べるものにすがってしまったのだろうか。

それも全て、私の弱さゆえ。
過ぎ去ってしまったものへの未練、有り得ないはずの可能性。
そんなものに、自分の生涯を運命ごと否定するような行為。

光の次に甦ってきたのは対なる闇。
初めてあの声を聞いた闇。
初めて言葉を交わした、あの闇の中。




『―――――問います。貴方が私のマスターですか?』


まるで闇と同化しているかのごとく、彼はそこにいた。
どこだったろうか、光無く、数メートル先さえよく見えないような暗闇の中。
どこかの路地裏だっただろうか、それともやはりあの土蔵だったのだろうか。
とにかくそんな暗闇の中、彼の姿はやけに鮮明で、どこか辺りと違う雰囲気を放っていた。

どこを見つめているのかさえ分からない双眼。
確かにその瞳には私の姿が映っているというのに、彼は私を見てはいない、そんな瞳を思い出す。
漆黒の暗闇の中、だと言うのに、更にその中でも目立つ黒の瞳。

それを形容するとすれば、ただ一つ。
その姿は。


ただ――――――冷たかった。


今なら分かる。
あの時は考えもしなかった、彼の痛み、彼の思い、決意が。
それは、そのときは気づこうとさえしなかった思い。


この時点で、既に私は間違っていた。


『お前がアーサーであるなら、召還したのは間違いなく私だ』

私が女であることなど気にも止めず、彼は背中を向けた。
顔が見えなくなった所為だろうか、その瞬間に彼の気配が希薄になったように感じたのを覚えている。
そして光のある場所へと向かいながら、背中越しに首だけ振り向く。

『……とりあえず姿を消しておけ。何かあれば呼ぶ……』
『あ、あの……私は肉体がまだある内に英霊となった身ですので、その………霊体には……なれないのです』
『………………』

そんな言葉に、彼は一瞬だけ足を止めると、


『…………では、まず寝床だな』


そう、それが当たり前のように言った。
今思えば。

『ぇ――――あ、あの……マスターっ!?』

結局その時はそれ以上返事をもらう事は出来ず、私は彼の後に続き、ある一室を与えられた。
ここを使え、ということなのだろう。
私に断る理由は無いので、素直にそこに身を置くことを決めた。

どこか、おかしなマスターだった。

別に何かが面白いとか、興味を引くという事ではなくて。
ただどこか変。
何か違っている。
どこか歪で何か違う場所にいて、何か違うものを見て、何か大きな物を背負っているような。
そんな違和感があった。

――――エミヤ、キリツグ。

最初にその素顔を見たときの闇。
足早に去っていたときのあの背中。
到底普通の生活をしているだけでは辿り着けないような場所の、そんな空気。

怖い?
いや違う。
嬉しい?
これも違う。
では何なのだろうか、このおかしな感触は。

しかし、私はそんな事を考えるために召還されたわけではない。


『サーヴァントは任せる。時間を稼げ………』
『……わかりました』


始まった戦いの渦中、次第にそんな思考も薄れていった。

私は、自らの願いが聞き届けられたからこそ、彼の元に参上したのだ。
正剣を手放し、自らの未来と引き換えに、聖杯を望んだ。

そう、願いは聞き届けられているのだ。
ならば、マスターがどのような人物であれ、自らの剣と信念に掛けて、この主を勝利へと導き、聖杯を手に入れるだけだと。

そう思っていた。

そして、私に聖杯をもたらしてくれるであろうマスターは、

『――――――っ!?』

どこか、私に似ていた。

響く銃声。
飛び散る紅。
暗闇であるはずの空間。
月明かりがいくら地面を照らし上げていたとしても、その鮮明さは以上だった。

『マ、……っ!?』
『終わった………いくぞ』

その目は氷のように冷たく、熱というものを感じさせなかった。
普段とは全く別物、といっても普段戦い以外の時に常に一緒に行動していたわけでもないので、あまり強く印象に残っているわけでもないが、少なくとも召還された時はまだ、人間らしさが残っていた様に思える。

しかし、一度切り替わると、彼は人では無くなった。

――――機械。

鉄の心とでも言い表せばいいのだろうか。

必要ならば、それが本当に必要ならば。

『周りへの影響は最小限に抑えろ』


そう、それが――――――


その言葉が繰り返し思い出される。
しかしそれは、その本意は。


――――――最善。


必要ならば最小限の犠牲は厭わないと、そういうこと。


それが――――――


それを理解していた。
嫌というほど。
心に穿たれた傷を隠しながら、分かりきった真理にその意思を委ねる。


――――――最良。


それは私が王であったころ、当たり前のように繰り返してきたことだったから。

聖杯を求めた理由。
それが自身の生涯を否定していたものだったとしても、それが今行っている事と矛盾していることも。

全てを救おうとして、大切な何かを見捨てる。
やり直そうとして、その過程でまた何かが零れ落ちていく。

無限に続く螺旋は、失われない記憶の中で、少しずつ私の心を磨耗させていた。

全て理解していた。
自身の心の冷たさと、彼の意思に冷たさに。
必ず聖杯を手に入れる、と。
心に決めた。
でも。

『ひっ―――――!?』

怯えた表情の名も知らぬ誰か。
戦いの相手だったか、それともやむをえない犠牲の中の誰かだったか。
今ではもう思い出せない。
次の瞬間、再びその場は紅の空間に染め上げられる。

聞き覚えのある音。

『終わった………いくぞ』

無機質な銃声の後、いつも返ってくるのはこの言葉だった。
彼の声かどうかさえ怪しく思えてしまうほど。
その響きは何かに突き動かされるように真っ直ぐ、その身が汚れていくことを黙殺していた。

彼は私よりも遥かに冷徹で、合理主義の人間だった。
少なくとも戦闘中、私は彼が”勝つ”そのため以外の選択をした事を見たことが無かった。

周囲への被害を最小限に抑え、必要ならば汚い手段も使って、他のマスターを一人、また一人と排除していった。

返り血を浴び。
相手の頭蓋を破砕し。
その道を閉ざし。
そして闇から―――――闇へと。

もはや戦いでさえなかった。
それは、掃除。
目的のためには何を犠牲にしても、見向きもしない。
否。
それは彼にとって、見向くほどの価値のあるものが存在しなかっただけ。

それほどに、この”戦い”は、彼の興味を引く要素に欠けていた。
どの相手も、彼の心に何ら変化を及ぼす事は無かった。

汚れる。
終わる事などない。
闇へ。
光など無い。
そうして、また進む。

その、背中を。
全て正しい、いや、私が正しいと思っていた決断をしたはずだった、彼の背中を。
何故私は寂しいと感じてしまったのか。


どこか―――――似ている。


そう思い始めたのは、いつだったか。




見上げていた視線を、遠く過去を見詰めていた目を現在、今へと引き戻し、そっと目を閉じてみる。

覆われる視界。
でもそれは、一瞬だけ垣間見ることの出来る過去視への、唯一の道標。

そうだ、あの時も、この場所で、彼と二人――――――




『ふぅ……』

あの時も、同じように優しい風が吹いていた。
この縁側で並んで、静かに。
空を見上げて。

『……いい風です。四方が開け放たれているのですねここは。空気にも淀みがない』

そんな私を見て、どう感じたのか。
普段とは、あまりに違いすぎる空気に気が緩んでいたのか。

『……………ふ』
『――――ぇ』

何か違和感を含んだ笑みに、とっさに反応できなかった。
で、慌てて私は勘違いをしてしまう。

『な、何ですかマスター? 私が、何かおかしな事でも……?』

そんな私の言葉に彼は、

『………いや、ただ見とれていただけだ』

などという言葉を吐いたのだ。
もちろんその小さな笑みはそのままに。
違和感。
それもそのはずだ。
何故ならそれが。

『――――美しいな、お前は』

なんて言葉をおまけにつけて。
そんな初めて見る彼の姿に、初めてその口から漏れた何でもない会話に。
顔が熱くなるのを感じた。

『かっ、からかわないでくださいっ!』
『はははは………』

声をあげて笑う彼。
それが、彼が初めて見せてくれた笑顔だったから。
思えば、あの時私はその姿にある意味、魅入られていたのかもしれない。

(全く……笑うと子供のような人だ)






でも、そんな事をその当時気づいてはいなかった。
否、気づけるはずが無かった。
この思い、それは時が過ぎることによって具現されたものであるのだから。

今だから―――――――気付けるのだ、と。

時が過ぎ去って。
残っているのはもはや風化し切った思い。
色さえ失いかけているあの笑顔。
それはもう靄がかかったように曖昧になってしまっている。

もしかすれば、この想いさえ、都合良く自分で捏造したものなのかもしれない。
彼の笑顔も、嘘。
私の言葉も、幻。
全て、全て全て―――――それは私の………何?







最後に、呆れている私に向かって、彼は現実に引き戻すように言った。

『あと……一人だ』

遠くを見詰めるように、そっと。
心の奥に溜まった何かを吐きだすように。

『―――はい』

彼と同じ景色を見詰めて。
変わり様の無いほど澄んだ青空を、二人だけの思い出にして。
静かに私は主の言葉に賛同した。

『残っているのはアーチャーか……一度も姿を見ていないが……?』
『いえ……確かに姿は見てはいませんが―――』
『―――何か心当たりでもあるのか?』
『そういうわけではありません……ただ……』

嫌な予感がする、と。
私の直感が告げていた。
そしてここで。

『………まぁいい、どちらにせよ………サーヴァントは任せる』
『―――――――はい』

彼の意識は完全にいつもの状態へと戻った。
遠くを見詰める、いつもの彼の瞳に。
色を失っていく景色。

『お前が足を止めて、私が殺す―――――これまでと同じ。それで…終わりだ』

俯きかけた顔に光は見えず。

そう、これが本来の彼。
そう、あれが本当の彼。

あの頃の私は――――――そう思っていた。

『――――――』

彼の本当の素顔も知らずに、あれが何であるかも知らずに。
彼が本当にその身に背負っているものさえ、気付こうともせずに。
その目を背けていた。

いつも汚すのは自分の手。

相手の命に終焉を告げる刻も。
最小の犠牲を強いる時も。
誇りを泥に浸らせるときも。

いつだって彼は私ではなく自らの手を使った。
常に汚すのは自分の手。
相手を殺し、排除するための戦力としてのみ召還されたサーヴァントである私の手でさえ、一度も汚すことなく。

三つの――――

思い出す。
そう、そうだ。

――――令呪。

確かに人質を取ったこともあった。
もしかすれば助けられた命もあったかもしれない。

私が傷付けた相手もいたはず。
魔術師が繰り出した使い魔も殺した。
人もさらった。
騎士道に反する行為も――――戒めの前では当然の行いになった。

でも。
その全てを。
背負っていたのは――――――私ではなくて。

(貴方という人は……。血に塗れたこの身に……美しさなど、残っているはずなどないのに……)

誰であったか。

私はただ――――――信じてしまっていた。

そうでなければ救われない、と。
全ての願いを叶え、そこに救いをもたらすものが聖杯ならば。

立ち上がり、真っ直ぐにその瞳を見つめた。

『必ず手に入れましょう………私には聖杯が必要だが、それは貴方にも言えることだ』
『………っ』

彼こそが。
そうであるべきだと。
彼こそが杯を、救いを受けるに相応しいと。

そう言った私に、一瞬だけ見せた驚きと、

『―――――ああ、そうだな』

その短い笑みの意味も知らずに。

その時の私は、ただ。
その意味を探すことなく、ただ盲目的にその先にある偽りの救いに手を伸ばそうとしていた。















透き通る剣響。
交差する光と闇。

黄金の弓兵との死闘、我が剣技を持ってしても倒し切る事は出来なかった。
正体さえ判らず、宝具を使う暇さえなかった。
退けたとはいえ――――――いや、それでも私は勝った、あの男を退けた。
それで、それだけで良かった。

―――――――――その時は。

それは―――――心の緩みとでも言えば良かったのか。

―――――――――その時は。

避け得る事など出来るはずもないその結末を、私はまだ知らなかった。

目に映るのは薄暗い風景。
その中心。
弓兵との戦闘中、まるで産声を上げるようにして出現した―――――――


―――――――――――黒き孔。


あれが、聖杯……?

一人それを見上げて、ある言葉を思い出した。

――――ここにあるのは本物の聖杯ではない。ここにあるのはただの願望機。認めた者の願いを叶えるためだけに存在する、欲望の坩堝である――――と。

魔力が渦を巻く。
黒き孔を中心に広がる、草原を染める黒い海。
僅かではあるが地鳴りも続いている。
震える黎明に血の匂いが混じる。
夜明けは近いはずなのに、辺りには一向に光という光が見えない。

嫌な―――――予感がする。

それが何かは分からない。
ただ、本能的に、私は。
その時既に悟っていたのかもしれない。
不安が、募る。

『マスターっ!!』

離れていても感じる魔力を辿っていく。
一刻も早くその元へと駆けつけるため、駆けた。

焦る視界、そこに。

見えたのは二つの人影。
一つは真っ直ぐと立ち上がったまま動きを止め、もう一つは地面に倒れ伏していた。

嫌な想像が頭をよぎる。
駆ける速度はそのままに、自らの主の下へと馳せ参ずために。

『マスターっ!!』

もう一度その名を叫ぶ。
大丈夫、落ち着け。
自らに言い聞かせる。
大丈夫、まだラインは切れていない。
主の身に何か異変が起きれば、サーヴァントであるこちらにも何らかの影響が現れるはず。
そして今はまだ何の異変も起きていない、ならば―――

息を切らせる間も無く、先ほどの戦いの余韻をそのままに残した地を疾った。

次第に鮮明になる影、それは。

『―――無事でしたか』
『…………』

黒い海の上。
両手に無機質に光を放つ獲物を握り締め、立ち尽くす彼と。
上半身を紅く染めて仰向けに倒れている先ほどの神父。

幸い彼に外傷は殆ど見当たらなかった。
衣服は所々黒く染まり、少々切り裂かれてはいるが、彼自身への傷は無いに等しい。
斑点のような紅も、おそらくは返り血だろう。

終わった。
まだ完全に絶命したわけでは無いようだが、この様子では神父も長くはないだろう。
あの弓兵も姿を見せないところをみると、消滅したか、少なくとも主を守れるような状況ではないということは確か。
この剣にて打ち倒すことは叶わなかったが、おそらくもう会うはずも無い相手、既に思考からは消え去りかけていた。

ようやく決着がついた、と短く息を吐く。

時を渡り、自らの願いのために。
誓いを守り、彼を守りきった。
この身は剣。
その責務を……今ようやく。
終わりは近い。
後は私が彼の代わりに聖杯を手に入れるだけ。

『そうすれば……私は……。―――っ?』

と。

『―――?』

返り血に染まる両腕を震わせて、彼はゆっくりと歩き始めた。
その足は間違いなく、あの黒き孔を目指していた。
慌てて後を追う。

『危険ですっ、まだ何が事が起こるか分かりません………マスターッ』

まだ地鳴りも止んでいない。
このまま彼を行かせるわけにはいかない。
だが、進路を塞ごうとする私を押しのけ、言葉さえ返さず、彼は歩みを止めることは無い。
何を。
一体何を。
もう貴方の仕事は終わったはずだ。
何か、嫌な予感がする。
それが何かは分からない。
この時だけは、自身の直感さえ働いていなかった。
しかしこの身はサーヴァントであり主に仕える騎士である。

その後姿を、その背中を。
どうして疑う事が出来ただろう……どうして、その道を塞ぐ事が出来ただろう。
信じるしか、なかった。

そうして、未だ僅かな振動を繰り返している大地の上。
そこで彼は立ち止まった。
かの黒き孔を睨みつけるようにしながら。
唇が震えている。

『こんな………、こんな、ものが………』

よく聞こえない。
聞きなれたはずの声、冷たくも、どこか悲しい響きが、この時だけは全く異質な音に思える。
側へと走り寄り、顔を覗き込む。
そうして。

『マスターっ、貴方は何を……っ』
『――――――セイバー』


驚いた。



本当に驚いた、それは、その驚きは。



彼が急にこちらに振り向いたからでも、


『なっ―――?』


黒き孔の異常な魔力の増大を感じたからでも、


『何、を……』


もちろん彼の瞳から伝う一筋の雫を目にしたからでもない。




短い、言葉。
何の変哲も無い、彼の声。








『――――最後の令呪を使う。聖杯を破壊しろ、セイバー』








それだけ。

空気が。
音が。
全てが。
周りの何もかもが、その一瞬だけは凍り付いているように思えた。

『ぇ――――?』

言葉が、出ない。
今、彼は何と言ったのか。

現実味が無い。
それこそ夢のように思えてしまう。
そんな呆然とした私の意識を今へと引き戻したのは、皮肉にも。

『どう、して………』


自らの聖剣が放つ輝かしいまでの光だった。


光が増していく。
限界近くにまで高められた自らの魔力が、今か今かと出番を待っている。

『っっ――――――そ、そんなっ、どういうことですかマスターっ!!』
『――――――』

言葉は返ってこない。
先ほど見えた雫も、まるで幻であったかのように消えていた。

『い、嫌だっ! その命令だけは聞けない、お願いですっ、止めてくださいっっ!!』

叫ぶ。
抑えきれないほどの力、それを命が削れたとしても構わず押さえつける。
この身が壊れても構わない。
この身が砕けても構わない。
でも、それでも、これは、こんな終わり方は――――

嫌だ。
絶対に嫌だ。
約束などいらない。
勝利などいらない。
本気でそう思わせるほどに。
本気でそう叫ばせるほどに。

このような、こんな結末だけは――――!!!!

『何故だっ、貴方も聖杯を欲していたのではないのですかっ、答えて……答えろマスターっ!!!』
『………………』

彼の唇が何かを紡ぐ。
その言葉が。


『待って、待ってくださいっ……!! あ、貴方はっ、貴方を信じた私を裏切り……自分自身をも裏切る気ですかっ!!! マスターァッ!!! 待って!! 待ってくださいっ!! ―――切嗣っ!!』


光が―――――

―――――視界を埋めていく。









―――――――――――――――――――――すまない。










っ――――――――――――――――――――キリツ、









記憶はそこで終わり。


そうして私は―――もう一度―――出会うことになる。



あの後、彼は少年を助け、それから数年でその短い生涯を閉じた。
少年に、呪いとも呼べる言葉を残し。
およそ計り知れない程の困難な道を、その眼前に伸ばした。


それが少年の記憶。


でも、それは―――――




「ちょっと、セイバー?」

その声で、我に返った。

「どうしたのぼうっとして……あ、もしかして起こしちゃった?」
「いえ……少し、昔のことを思い出していただけです」

ふぅん、と頷きながら、縁側に腰掛けていた私の隣に腰を降ろす現在のマスターである少女。
この戦いに身を置いてからの私にとって、真に主と呼べる三人目の少女。

「昔のこと、か……それってセイバーがまだ生きてた頃の話?」
「ぁ、いいえ。そうではなくて……」
「? ……ああ、十年前のこと、か」

小さく息を吐いて、二人で同じ空を見上げる。
でも、きっと映っている景色は違うはずだ。

「その時は結構大変だったわけでしょ、その……あんな金ピカとかもいたわけだし」
「きんぴ……ええ、今回ほどではありませんでしたが、前回もそれなりに」
「……でも、セイバーが思い出してたのって結構いい思い出でしょ?」

そうやって、彼女は笑顔で言ってくれる。
それに、思わず言葉が遅れた。

「ぇ――な、何故そう思うのですか?」
「何となくだけど……セイバーの顔、すごく嬉しそうだったから」

嬉しそう……ですか。
心の中で反芻し、その重みをかみ締めるように胸に抱いた。

「う〜ん……ま、当たらずとも遠からずってとこかな。それより早く来なさいよ。士郎がお昼ご飯用意してくれてるから」

じゃね、と軽く手を振って、彼女は居間の方向へと消えた。
それを見送ってから、もう一度空を見上げる。
そのまま、空を舞う風に乗せるように。
決して届かない言葉を、もう会うこと叶わぬ誰かに届けてもらえるように、呟いた。




―――――――ああ、やはり貴方は間違ってなどいなかった。




そう。
それだけは確かだ。

この風景は、この暖かさは。

彼が守り通したもの。
彼が、私という剣を使って、貫き通し、少年に託した――――孤独な理想という、一つの夢の形。

今なら、今もしもう一度彼に会えるなら……と、そう思ったこともある。
今の私であれば、もっと別の分かれ方もあったのではないか、と。
もっと、話せることがあったのではないか、と。

でも、それは叶わない。
もう会うことは出来ない。
でも、それでも。
この胸の内には、伝えたい思いがある。


見ていますか?

貴方は………答えを見つけたのかも、しれませんね。

ここにいると、それが痛いほどに分かる。
あの少年を見ていると、それが分かる。

少年の記憶の中。
貴方はいつでも笑っていた。
少年の前。
少年と共にいた少女の前で。
貴方はいつでも優しい笑顔だった。
そして。
私に。
あの時一度だけ見せてくれた心からの笑み。
それがここにはいつでもあった。

―――――ああ、安心した。

記憶の中でしか知らない言葉。
だが、その言葉に。
最後に貴方が残した言葉に。
どれだけの意味が込められていたのかは知りません。
でも。

「私はまだ、答えを見つけていません……でも彼らと共にいれば、必ずその道の向こうに、答えはあります。私はそう信じている……だから」

緩やかな風の中、目を閉じて。


「もう少しだけ、見守っていて下さい―――――――――――マスター」


そう呼ぶのはこれが最後。
でも、込めた思いは今までのどれよりも勝る。
もう思い出すことは無いでしょう……でも、決して忘れはしない。

そうして、もう一つ、思い出した。






「―――――――――――お昼ご飯? っっっっっ――――――――シロウッッ!!!!」






                              <fin>










〜〜あとがき〜〜

え〜〜、大分と端折って、この形に。
本来はギル対セイバーの場面を大幅に組み込んでいたのですが、

「別にいらねぇんじゃね?」

と思い、全カット。

場面、背景としましては、回想中心という事で。
ホロウ発売で補完の可能性はよく分かりませんが、とりあえず書いておこう、と。

結構セイバーの前では冷たいキリングマシーンのようにされてますが。
切嗣はこれくらいイイオヤジだったんだぁ〜〜!!!
と叫びつつ。
いやまぁ、これがイイオヤジかどうかは置いといて。

また、修行の放浪へと。
末丸