”シロウと兄妹でよかった”


言葉はまだ覚えている。


”シロウも言ってたよね、兄貴は妹を守るもんだって”


忘れられない、離れない。


”じゃあやっぱりシロウは私が守らなきゃ。だって私、お姉ちゃんだもん”


光に染まった世界の中、
多くを失いつつも、零さずに残っていた欠片………



「―――――イリヤ」






光。 それは奇跡を呼んで……

                      末丸






「えっ……先、輩?」

不意に呟いた声に、隣を歩いていた桜が立ち止まった。

藤ねえに頼まれていた買い物、その帰り。
時刻はそろそろ夕方で、空は少しずつ赤味を帯び始めている。

「………んっ、どうした桜?」
「先輩今、イリヤって………」

振り向いた俺に、とても言いにくそうに。
桜はそこで言葉を切って、俯いてしまう。

――――どうやら、またやってしまったようだ。

あの出来事から早2年。
春の季節は暖かく、包む空気も穏やか。
しかし抜け落ちた物の傷跡は未だ広く、無意識に口に出てしまう事がある。
不可抗力なのだが、その短い言葉が回りに迷惑をかけているのは事実だった。

「――――――」
「あ、ごめん、桜……その」
「いえ」

桜はそんな言葉を遮るように笑顔を見せ、

「ほら、行きましょ、先輩」

戸惑う俺を導くように手を引いてくれた。

その笑顔は以前までとは違い、
眩し過ぎるほどの明るさで、見ているだけで心の暗さはどこかに行ってしまう。
それが何よりの救いになる。

つないだ手をそのままに、家路につく筈だったが――――


「あれ?」
「ここは………公園?」

どこでどう道を間違えたのか、いつの間にか二人で、
小さな公園の入り口に立っていた。

まだ首をかしげたままの桜をよそに、ゆっくりとその奥へと足を進める。
一歩一歩、足の裏が砂を踏みしめるごとに、
また――――目を閉じる。


”えへへ。やっぱりシロウはお兄ちゃんだぁ”


揺れる雪色の髪。

「先輩………?」

桜の声が聞こえた気がして、


”あ、雪だ”


白い、空からの贈り物。
それに混じって踊る―――――


”なぁ、また会えるか、イリヤ?”

”えっ? わ、私はそうでもないけど、シロウがどうしてもって言うんなら、
いいよ”

”ああ、会いたくなきゃ言わないぞ?”


―――――透き通った赤、ルビーの瞳の雪妖精。


聞こえる歌。
舞い続ける雪の花。

もう、忘れたはずなのに。
くるくると、雪と舞う姿は消えない。

「――――――」

目を開く。
そこには、あの時二人で座ったベンチ。
もう何も面影は残っていない。
残っているのは、僅かな自分の記憶の欠片だけ。

そっと、触れる。
冷たい感触、そして自身が同時に包まれる感触。

「っ………桜」
「もう………いいでしょう……もう……」

背中から抱きしめられていた。
泣いているのか、回された腕も、声も、呼応するように震えている。

「ここで何があったかは知りません。でも、それは先輩が背負うことじゃ……」
「でも、俺は……」

首を振って否定する。
忘れちゃいけない。
逃げるわけにはいかない。
自分が救えなかった以上、忘れる事だけはしちゃいけない。
永久に、この体途絶えるまで、ずっと刻み続ける。

「分かってます、あなたがそんな器用な人じゃないってことは……なら、
 ならせめて、それを共に背負わせてください………せめて、一緒に………」

お願いですから……、と、最後にそう聞こえた。

桜、と呼ぼうとして止める。
その代わりに、抱きしめてくれている腕に自身の掌を重ねた。
鼓動が聞こえる。

重なり、落ち着かせてくれるリズム。
それが、今は何より暖かく感じられた。

「ありがと、おかげで楽になった」
「お礼なんて……」

言い終わる前に、桜の方へ向き直り、一瞬だけこちらから抱きしめ返す。
桜は驚いた様子もなく、優しく応じてくれた。

「よし、帰るか。 早くしないと藤ねえに何言われるか」
「はいっ」

ぎこちなくも、互いに笑みを浮かべ、公園を後にした。



                ◆



「ふぅ〜〜終わったっと」

夕食の食器を洗い終え、居間へと戻る。
と、そこにいつも通りに陣取って煎餅をかじっている大虎一匹。

「あ、士郎ごくろうさまぁ」

おいコラ、礼とは相手のほうを向いて言うもんだろが。
まぁいいけど。
それほどテレビに熱中しているのだろうか?

「何見てるんだ藤ねえ、面白いもんでもやってるのか?」
「うん、よくあるホラー番組なんだけどね、よくできてるんだよぉ」

ふぅん、となにやら感心している藤ねえの向かいに、
自分も湯呑みに茶を入れながら腰を降ろした。

桜は風呂に入っており、もうそろそろ上がってくる頃。
ずずずっと入れたばかりの緑茶をすすりながら、
何の気なしにテレビの画面に目をやる。

”そして、ここがその現場です”

どこかで見たことのあるリポーターが、頼りなさげに不安をあおるような台詞
を吐く。
台本があるのだろうが、あまりにもリアリティに欠けている。
やらせを自らアピールしているようなものだ。
どこがよく出来てるんだ? と藤ねえに聞きたくもなったが、
本人はとても興味深そうに見ていたのでやめておいた。

内容は藤ねえの言うとおり、よくあるホラー物。
日本各地にある心霊スポットを僅か10分で紹介してしまうという、
何とも………な番組。

別に見たいわけでもなかったので、画面に目をやることはなく時間が過ぎる。

”………というわけで、七夜連続でお送りしてきたこの番組、明日が最終夜と
なってしまいました”

ぼり、と藤ねえが煎餅をかじる音。
そろそろ桜も戻ってくるだろう――――

”その栄えある最後にふさわしいスポットは………”

ずずずず……


”冬木市・柳洞寺跡!!”


「ぶっ―――――!!」

な、何だって!?
思わず緑茶を吹き出して、向かいの藤ねえにぶっ掛けてしまった。

あ〜〜睨んでる、睨んでるでおい。

しかし、今はそんな虎の視線よりもテレビから聞こえた言葉。
何か、聞いたことのある地名を拾い上げたような………

「ね、ねぇ士郎、今」
「言ってたな、確かに……」
「やったぁ〜〜!!」

何が嬉しいのか、雄たけびをあげたまま虎は笑顔を浮かべている。
どうやら吹き出した茶のことは記憶の端から消えてくれたようだ。

「ねぇねぇ、士郎、もしかしてテレビに映れたりするのかな?」

…………………………出てどうする、タイガーよ。

まぁいいけど。
いろいろなことをいっぺんに思考してしまった。

納得していたのは藤ねえのことだけではない。

別にあの場所に何かが残っているわけでもなし、
どうせ復興中の場所だ、中に入ることさえ難しい。
それに中に入れたところで、なにかを見つけられるわけでもないだろう。

――――もうあの場所には何もない、ない、はず。

「………士郎?」
「――――――」

名を呼ばれて、我に帰った。

「どしたの、ぼぉ〜っとして」
「いや、ちょっと考え事」

再び返す波のように、何度も織り返す時の糸。
繰り返す思いは、記憶の欠片となりて、消えることはない。
消して完成しないジグソーパズルのように。

ふぅ、とため息を付くと、

「どうかしたんですか、先輩?」
「……っ、風呂上がったのか、桜」
「はい、とってもいいお湯でした」

そのほんのりと赤味がかった顔が何とも色っぽい。
一瞬見とれていたが、

「ねぇねぇ聞いてよ桜ちゃん、明日ね、私テレビに出るの!!」
「へっ?」

おい、どこまで話をすっ飛ばす気だタイガーよ。
桜も困った表情で、

「あ、えと……先輩? これは……」

と、状況の説明を求めていた。
上手く説明できる自信はなかったが、とりあえずこの数分のことを話す。

――――――で。

「つまり、明日冬木市でテレビの撮影があるって事、しかも生放送」

簡単に、というか自分が理解できたことを全て桜に伝えた。
本当に骨組みだけ。

「はい、それは分かりましたけど……あの……それで、
 藤村先生とどんな………」

関係があるんでしょう? と聞く桜。
さぁ、藤ねえの思考回路を理解できる人物などこの世に存在するとは思えない。
そのまま浮かれ気分の大虎に視線を向けて、無言で説明を求める。

「だからね、つまり………あれっ、もしかして出れないの?」

出れない。
出れるわけがない。
出て欲しくない。
その光景を想像したくない。

どこをどう間違ったら、あの短い放送で自分がテレビに出れる、
という結論に達するのだろうか?
もしかして、この頭脳はある意味とても希少価値の高い物なのでは?
などと馬鹿なことを考えていると、

「でも先輩、ここにそんな心霊スポットなんて……まさか?」
「そ、柳洞寺」

考えていること、おそらく思い浮かべている光景も同じ。
そうして表情を暗くしている俺達を気にも留めず、

「心霊スポットかぁ……確かに色々あったもんねぇ。この街は。
 火事とか、行方不明事件とか………」

「「っ――――」」

驚くのも同じなら、息を呑むのも同じ。
そして、それは藤ねえも例外ではなかった。
もちろん、その思惑は全く違ったのだが。

「ぁ……ごめん士郎、あんまりいい話じゃなかったね」
「いや、気にすんな」

そう、と表情は明るくなったが、流石に気まずかったのか、

「じゃあ、そろそろ帰るね」

なんて言い出した。

「もう帰られるんですか? まだこんな時間なのに」
「うん、まぁね、ちょっとやることがあるのだぁ、はは………」

また明日ね、と。
最後まで申し訳なさそうに、藤ねえは玄関をくぐっていった。
笑顔こそ崩れなかったが、いつものとは違っていることぐらいすぐに分かる。
何も言わなくても、それは同じ。

「さて――――」

あくまでも普通に、居間へと戻る。と――――

「――――――」

予想通り、桜は俯いたまま。
出来るだけ刺激しないように、すぐ隣に腰をおろし、そのまま、

「えっ、先輩……っ」

――――唇を重ねた。

「ぁ……せ、んぱい……」

すぐに離れる。
目の前には、少し驚いている表情の桜。
まだ目をぱちぱちと閉じたり開いたりを繰り返していたが、
そんなことはお構い無しに、今度はその肩を引き寄せ、
力をこめる事無く抱きしめた。

夕方の公園とは逆に、今度は俺が、桜を包むように。

「先、輩………」

桜の吐息が広がり、体の上を滑っていく。
それに少しくすぐったいように感じつつ、包むように声をかける。

「ま、忘れろとは言わない。気にするなとも言わない。
 でも……逃げるのは駄目だ。ちゃんと受け止めないと駄目だ。
 一人で辛かったら俺がいる。昼間言ってたよな、一緒に背負わせてって。
 俺がいるから……桜と一緒に、俺も背負うから………な?」

優しく、出来る限りの思いで、抱きしめたまま腕の中に伝えた。
少し間があって、

―――――はい。

僅かだが、確かに縦に動いた首と、短い言葉。
俺の腕の中、桜は少しだけ泣いているような気がした。


(ドクン)


うるさい。
自身の鼓動が部屋中に響き渡ったかと思うほど。

(ドクン)

脈動は止まる事を知らず、
ただ硬直している心の中を走り続ける。

桜を抱きしめている。
その鼓動と響きは、おそらく彼女の耳にも届いているだろう。
しかし――――


「――――、――――」

漏れる吐息は、それに対する反応ではなく………

「んっ、何だ、さく……ら?」

そのままの姿勢で問い掛ける。

「ぉ………にぃ、……」
「え――――?」

今、何て……何と、桜は言ったのか、いや、それよりも………


「……お、にぃ……ちゃ、ん……」


………その声は、誰のものだったか。


一瞬、視界が白で埋め尽くされる。

「な―――――」

違う、視界は正常。
変わっているのは………

「桜、その髪………」

その問いは、


「お兄ちゃん……」


短い呟きにかき消された。


「イ、リヤ……?」
「うん……シ、ロウ……」

小さい。
今にも消えてしまいそうな声で、それは顔を上げた。

「………………」

言葉が、出ない。
目の前にいるのは、今俺が抱きしめているのは、誰だ?

雪を思わせるような白銀の髪。
ルビーのような透き通った赤………どうして、いや、どうやって?

「イリ、ヤ――――」

再びそう呟いた瞬間、視認出来るものは消え失せ、
全てが白へと逆行する。
そして、

「先輩………?」

その声に引き戻された。

「………っ、さ、くら……桜、だよな?」
「はい、でも……先輩?

頬に感じる二つの温もり。
一つは桜の触れてくれた掌の熱。
そして、もう一つは、

 ………どうして、先輩が泣いているんですか?」
「――――――」

気づかなかった。
涙の流れは既に止まっていたが、桜はその跡を指で辿って、
その薄く濡れた指先を、

「しょっぱいです」

ぺろっと。

「桜……」

はい、と桜が目を合わせてくる。

「もう寝よう、今日は調子がおかしい」

と、冗談混じりに言うと、

「じゃ、じゃあ……その………」
「うん、そういうこと」


               
                ◆



「――――ぱ――」
「ん…………んっ?」

体を揺さぶられ、ゆっくりと目を開けた。
そこは見事なまでに何も無い、相変わらずな自分の部屋。

「おはようございます、先輩」

その声はすぐ隣から。
見ると――――

「もう朝ですよ」

と、桜。
一つの布団にに二人、しかも裸。

あの後、自分の中に湧き上がった靄を振り払うように、桜と体を重ねた。

まぁ初めて、というわけではない………が、
改めて見ると………やっぱり桜はいい体をしている。

………で、そうしているとやはり目が合うわけで、

「……っ、もう、先輩の目、えっちです」
「あ、あぁ、ご、ごめん……」

互いに頬を熱くしながら、目を逸らす。
時計は朝の五時半、外はまだそれほど明るいわけではなく、
いつも通りの時間と言える。

すると桜が少し体を寄せて、

「でもいいです、先輩ですから……」
「ん」

照れを隠しながら、もう一度桜へと顔を向けた。
そして少し頭の隅に引っかかる違和感。

目が合う。
ここにいるのは確かに桜だ。
あれは、気のせいだったのだろうか?
そういうことにしておく。
幻を、それがイリヤならなおさらだ。
まだまだ修行が足りない。

「そろそろ朝食の準備にしませんか? 先輩もお腹減ってるだろうし……」

くううぅぅ〜〜〜

「…………あ、その……私も」

………減ってるみたいですから。

そう言って、桜の頬がまた赤く染まった。




「桜は今日はどうするんだ?」

朝食の準備をしながら、傍らで鍋を見ている桜に声をかけた。

「え〜〜と、お昼に神父さんに呼ばれてますけど。
 何か話しておく事があるらしくて」

そっか、と軽く返事をして、

「俺も今日は出かける、昼は適当に食べてくれていいから」

と、自分の意志を伝えた。
朝食の準備は続く、ライダーは遠坂と話があるといって、
一昨日の夜から出て行ったきりなので、とりあえず量は3人………じゃなかっ
た、
藤ねえがいるから4人………いやいや、桜がいるから5人分か。

―――――んっ? 

何かすぐ横から鋭い視線が…………………っ!!
ぎぎぎ、っと首を横に向けると、

「………先輩、聞こえてますけど?」
「――――――――――――――――――――――――ぁ」
「もう……」

……………き、今日のメニューとしては、
まず豆腐と油揚げの味噌汁、きゅうりの酢の物。
それに卵焼き、定番の肉じゃが。

もう飯も炊ける頃だろうし、そろそろ………

「う〜〜ん、いいにおい」

な〜〜んて、藤ねえがやってくる頃だし、っていうかもう来てるし。

「この匂いは士郎の卵焼き〜〜」

居間に入りながら、鼻をひくひくさせる藤ねえ。
どうやら昨日のことは気にしてはいないようだ。
そのほうが俺と桜にもありがたい。
それに藤ねえは、挨拶よりも今日のメニューのほうが大事な様子。

「おはよ、藤ねえ。 もう出来るからおとなしく座っててくれ」
「はいは〜〜い」

うむ、平和だ。
やはり餌付け?の効果は絶大の様子。


そうして朝食。

「えっ、今日は2人とも出かけるのぉ? じゃあお昼どうしようかな」
「そう言うと思って……はい、お弁当です」

桜が差し出した3段重ねの重箱。
多すぎ?いやいや、これでも少ないぐらいだ。
昼の藤ねえの胃袋は尋常ではない。

それを、にゃ?と獲物を見つけた猫のような目で見つめる藤ねえ。

「やった〜〜、桜ちゃん気が利くぅ〜〜」
「藤村先生は、やっぱり今日も一日中道場ですか?」

うん、そうなの、と頷きながら3杯目のお代わりを要求する大虎。

「そんなに食べて平気………みたいだな」
「大丈夫だいじょぶ。 腹が減っては戦は出来ぬ、ってね」

――――いや、藤ねえは腹が減ってる時しか争いにはならんと思うが………。

ま、それはそれとして、朝食も終わり、
食後のお茶。

「美綴の弟だっけ、今年の部長」
「そだよ。あ、そうだっ、今日美綴さんも様子見に来るって言ってたから、
 よかったら2人とも来てみそ。たまには後輩に会いに来るってのもいいんじ
ゃない?」

とか言いながら玄関を出る藤ねえであった。

「さて、俺も行くかな。 桜はもうちょい後だろ、出るの」
「はい、お昼になってからですから。 そういえば先輩はどこに行くんですか?」
「えぇと……」

呟きながら、今日の予定を確認する。

まず午前中はコペンハーゲンの荷物運びの手伝い。
帰りに遠坂とライダーの様子を見にいこうと思っている。

「………そうですか、じゃあ午後は空いてるんですね?」
「ああ。 多分3時ぐらいには暇になってる」
「じゃあ、久しぶりに弓道場に行きませんか?
 あの………先輩が迷惑って言うなら、いいですけど………」

と、少し俯いてしまう桜。

まいった。
実の所、あの戦いがあってから、殆ど道場には近づいていない。
まぁ、一年間魂のままでいたこともあるが、偽装の休学期間が終わっても、
藤ねえや桜の顔を見る以外には足を運ぶこともなかった。
遠坂にも、何度か誘われたりもしたが、なぜか行く気にはならなかった。

でも、元々拒否する理由など無いのだ。
それに、桜のそんな寂しそうな顔を見たら……断れるはずも無い。

俺はわざとらしく、う〜〜ん、と考え込むフリをしてから、

「そうだな、たまにはいいか」
「えっ?」

桜は目をぱちくりさせながら、こちらの目を見つめている。

「後輩たちの顔を見ておくのも悪くない」
「ほ、本当ですか!?」

予想以上に大きな声の桜に、少し気圧されてしまった。
ここまで喜んでくれるとは。

「じ、じゃあ、用事が終わったら……」
「ああ、終わり次第行くよ」

はいっ!! と元気な声を挙げる桜を背中に、家を出た。



                ◆



荷物運びはそう時間も掛かる事無く終わった。
結構人手があったおかげか、昼を過ぎるはずだったはずの予定が
11時にはもう片付きかけていたぐらいだし。

その光景に親父さんも、

「みんなありがとねーーん」

なんていつもの調子。
他の従業員の人たちが帰って、さて俺もそろそろ、と腰を上げると、

「エミやん」

ちょいちょい、とネコさんに後ろから声を掛けられた。
はい?と近くによると、はいこれ、と小さな包みを渡された。
掌にすっぽり収まる白い布袋。
その口を塞ぐように、青いリボンで止められている。

「何です、これ?」
「知り合いから貰ったアクセサリなのよ」

はぁ、と言いながら手にとって眺めてみる。
どうやら小物。
指輪か何かだろう。
 
「聞く所によるとエミやん、この頃女の子に囲まれてハーレム生活状態だそう
だから、
 たまにはプレゼントでもあげたらって、私は思うわけで」
「えぇっ!?」

は、ハーレムって……ま、まぁ男一人に、桜にライダー、
それに今は遠坂だっている。藤ねえは除外するとして。

あまり意識しているわけではないのだが、
想像すると大変な事になりそうなので止めておいた。

「まぁ、気持ちってことで貰っておき。
 けっきょく何が言いたいかっていうと、エミやんこの頃モテモテで、
 あたしにはそんなアクセサリは似合わなくて、つまりいつもの通り
 藤村にまた顔出せやコラと伝えてほしいのです」

と、長い台詞を一気に喋るネコさん。
やっぱりくるくる回す人差し指は欠かせない。

「あ、やっぱり藤ねえに伝言?」
「そゆこと、じゃね少年」

で。

「でもなぁ」

新都からの帰り、ふとポケットの中身が気になった。
ネコさんから貰った、淡く輝く銀製のブローチ。
シンプルな創りだが、その中に一つだけ綺麗な宝石が飾られている。
ちなみに中身を知らないと渡せるものも渡せないので、先ほど確認した。
もう既に封は解かれていたから、箱の隙間から少し覗き見たのだ。

「どうしよ、これ」

おそらく藤ねえがネコさんに吹き込んだのだろう、
しかしハーレムというのはいささか語弊がある気がするのだが。

―――――後で桜にでもあげるか。
それが一番自然なような気がしたし、それが当然だろう。
だって俺が一番大切なのは、

「………桜だもんな」

よし、と自分を納得させる。
それでどうでもいいような迷いは消えてくれた。


「まぁ、衛宮くんにとって桜が何なのかは聞かないけど」


「――――――っ!!! と、っっとおさか!? 
 お、お前、いつの間に!? ってか、何でお前こんなとこにいるんだ!?」

突然耳元で意地悪い笑みを浮かべるアクマに遭遇し、
思わず後ずさってしまった。

「何言ってるのよ、ここ何処か分かってる?」
「へっ?」

言われてあたりを見回してみる。

あ――――――。

いつの間にか橋を越えて、無意識の内に遠坂邸の前までやってきていたようだ。

「で、何やってるのよ」
「あ、いや、一昨日の夜から帰ってこないから様子を見に来ただけだ。
 べっ、別に変な意味は無いぞっ!」
「ふぅ〜〜ん。 ま、いいわ。 こっちはもう少し掛かるわ。
 それまでライダーを借りておくことになるけど、いい?」
「ああ、別に構わないけど」

2人で何話してるんだ? と、聞いてみる。
すると遠坂は思いのほか表情を厳しくさせて、
内容は話せない、なぁんて言いやがった。

まぁ別に興味本位で聞いただけなので、これ以上は聞かない。
それにこれ以上聞くと、

”ふぅ〜〜ん、衛宮くんは女の子の内緒話に興味があるんだぁ、へぇ”

とか何とか言ってからかわれるに決まってる。

「なら今日もこっちには来れないのか? せっかく帰ってきたってのに」
「う〜〜ん、多分そうなると思う」
 
後で桜にも言っておかないといけない。
そして弓道場、つまり学校に向かうために踵を返した。
首だけ振り向いて遠坂に、じゃ、と挨拶をする。

「士郎はこれから用事?」
「いや、たまには弓道場にでも行こうって桜に誘われてる。
 あ、そうだ美綴も来るらしいぞ」
「そうなんだ。 久しぶりに会いたいけどやっぱり無理かな。
 じゃ、士郎からよろしく言っといて」

了解。と片手を上げて答え、そのまま学校へと歩き出した。



久しぶりに学校の校門をくぐる。
数ヵ月振りに目にした校舎は、何も変わっていないように思えた。
二年前のような結界が張られていることもなく、
呪いの槍に心臓を突き破られることもない。
過去の傷跡は少しずつ薄れ、忘却と言う蓋をされていく。

少しの間、物思いにふけってしまった。

いつの間にか歩いていた足は止まり、視線は自然と上に。
グラウンドからは合宿中なのであろう運動部の掛け声が聞こえていた。

――――よく晴れている。

もうあの時のような違和感はなく、走り続ける影達は元気そのもの。

眩しさに目を細め、道場へと向かった。


「おっ、おっ??」

こちらを伺うような声と、道場の入り口前に立っている見知った顔。

「よ、久しぶり」
「珍しいこともあるわね、衛宮が道場に来るなんて」

と、相も変わらない明るさで頷く元弓道部主将、美綴綾子。
何も変わっていないと言ってもいいほど、同級だった頃の記憶とダブった。

「何言ってんだ、先に桜から聞いてるくせに」
「あ、ばれた?」
「桜に誘われたから来たんだよ、それより藤ねえは?」

美綴に問いかけながら、2人で道場の扉をくぐった。

「藤村先生なら”ちょっと職員室に行ってくる”って出て行ったけど?」
「また何かやらかしたのか? 野球部のロージンパック盗難騒ぎとか」

さぁね、といいながら美綴も笑っている。
あいまいに返す彼女の横を一緒に歩き、射場へ。

「あ、先輩っ、来てくれたんですね」
「それより今は休憩か? 何かいい匂いがしてるけど」

視線を泳がせて匂いの元を探る。
ぴりっ、と食欲をそそる言い匂い。

「はい、お昼ご飯ってことで、
 美綴先輩が特性じゃがいもカレーを作ってくれたんです。
 よかったら先輩も………」

ぐうううぅぅ〜〜〜

どうですか? と聞かれる前に、腹の虫が先に答えていた。



そうして、何故か美味いじゃがいもカレーを頂き、
改めて射場を見渡してみた。

弓の数が増えている。
まぁイコール部員の数と言うわけでもないが、俺がいた頃よりは増えているよ
うに見えた。
床もちゃんと掃除されているようだ。うん、感心感心。

と―――――

「あ、士郎来たんだぁ!」

五月蝿いのが帰ってきた。
腹が膨れて機嫌がいいのか、満面の笑みでこちらに来る藤ねえ。

「もしかしたら来ないかもって思ってたけど、来たのねぇ」
「先輩、ちゃんと約束してくれましたから…………ぁ、あの……先輩?」

何かとても言いにくそうに、俺の表情を観察している桜。
んっ? と首だけそちらに向けて、答えを促してみた。

「あ、いぇ……その、先輩は、もう………あ、や、やっぱりいいですっ、気に
しないで下さい」
「――――――」

桜の言いたいことは大体分かる。
さて、どうする………別に今更拒む理由もないが………
すると隣で、美綴がすっと立ち上がった。
んっ?

「衛宮、勝負しよ」


―――――――――――――――――――――――――は?


なんと仰りました元首相、もとい主将。
と、呆けている俺、いや桜と藤ねえも、へっ? という口の形のまま止まって
いた。

「だから射の勝負よ。 私も弓持つの久しぶりだし、いい勝負でしょ?」
「はぁっ? 何を急に………」

突然の提案?に戸惑う俺をよそに、

「そ、そうね、後輩たちに手本見せるっていうのもいいかな」
「そ、そうですよね、藤村先生っ」

何だ、何だこの空気は?
何だ、その強引かつ変に筋の通った理由は!?
何だ、3人とも、そのしてやったりみたいな笑顔は!?

いつの間にか弓道部の部員達も昼食を取り終え、
こちらの動向をうかがっているような状態。
奥のほうではなにやらどちらに賭けるか、
などと高校生にあるまじき言葉が聞こえたような気がした。

「衛宮、そろそろ観念したら?」
「でも弓道着無い――――」
「そんなもん、私服で構わないわよ」

第一の言い訳、発射後0,2秒で玉砕。

「…………でも、俺の弓は家だぞ。 取りに帰るなんて嫌だからな」

引き続き精一杯の逃げ道を模索する、が、

「大丈夫大丈夫、それならあたしの練習用貸してあげるから。
 士郎ならどんな弓でも大して変わらないでしょ」

なぁんて言って、近くの部員に自分の弓を持ってこさせる藤ねえ。

…………………撃沈。

はぁ、どうやら諦めるしかないようだ。

自分に集まる多くの視線をこらえながら、
ため息付きつつ藤ねえから弓を受け取った。

「はぁ………んっ?」

と、ため息を繰り返している間に、美綴はもう射の体勢に入っていた。

「私が先に打つけど、いい?」

片手を挙げ、お構いなく、と無言で返した。
そして………

ザクッ、と言う短い音ともに、数十メートル先の的に矢が刺さった。
突き立った矢は中心からは外れてはいたものの、そう悪くは無い。

おおっ、ギャラリーからぱちぱちと拍手が起こった。

「じゃ、次は衛宮の番ね」
「わかったよ」

ゆっくりと射場へ。
久々に立つこの場所。
静かな雰囲気は刺激となって心を洗う。

(ハメられたかな? まぁいいか)

完全に諦めて、藤ねえに貰った弓を構える。
八節を組み立てる前に、目を閉じて弓を握っている左手に意識を通した。

(……………同調、開始)

頭の中で、呪紋を呟く。
基本骨子、構成材質、創造理念―――――

イメージが出来上がっていく。
魔術を使うわけではないので、ただ自然体を意識する。
早送りで積み立てられる積み木のように、そのイメージは的に刺さった矢に繋
がっていく。
右手には一本の矢。

心を更に研ぎ澄まし、自分だけの空間をその場に作り上げた。
ここには誰もいないし、ここでは何も聞こえない。
外界からの干渉を遮断し、今この射に全ての精神を注ぎ込む。

―――――同調、完了。

言葉にはしない。
魔力を流しているわけでもない。
しかし、弓は自身の体の一部のように。
それでいて心は透明なまま、ゆっくりと体へと信号を送っていき、
同時に八節を順に組み立てていく。


足踏み―――――まず射場へと立ち、視線は的。

足場を確かめ、バランスを取る―――――胴造り。


…………その途中。


弓構え―――――受け取った弓を体の前方へと移動させる。

縦へと起こした弓の胴に、矢を番える―――――打起こし。


……………何か、


引き分け―――――ゆっくりと腕に力を込め、弦を引く。

自分と的を一体化させていく―――――会。


白い…………物が………


離れ―――――ギリギリまでに引き絞られた矢を、虚空に向かって放つ。

そのイメージを完全に作り上げ、後に残る自分を想像する―――――残心。


見えた気がした…………。


――――――――っ。 

いや、何も問題は無い。
数年弓から離れていたとはいえ、その具現は色褪せることはない。

僅かに崩れかけた具現を即座に修復し、ゆっくりと弓を引き絞る。
自身でもその動きが流れるのを感じる。

そして―――――



――――――――――――――――――タンッ



的の中心。
指から放たれた矢は、俺の描く空に一体化したように、
真っ直ぐに軌跡を残していた。



おおおおおおっっ、とギャラリーのどよめきで我に返った。
どうやらイメージ通り行えたらしい。

「すごい士郎、ど真ん中じゃないっ!」

甲高い声を挙げる藤ねえと、目を見開いたままの美綴と桜。
その声の後、自分の目で矢を確認する。

「うそ………」
「先輩………きれい」

肺にたまり、緊張しきっていた空気をそっと吐き出す。
それで、体の硬直は解けてくれた。
――――ったく、ただでさえ魔力の通りは悪いってのに。
別に魔力を行使したわけではないが、精神の集中とそれとは結構似ている。

「俺の勝ち…………ってことで、いいの、かな?」

振り向きながら、そう確認した。



「何でよ、何であんたはいつもそうなのよ!?」
「………………」

弓道場の隅で、お茶を飲む。
ぬるめの緑茶は緊張していた体をほぐすのにはちょうどいい。

「ああもぅっ、悔しい! 今なら勝てるって思ったのにぃ」

で、隣で悔しがる美綴一匹。
ブランクの長かった俺に負けたのがそんなに悔しかったのか、
きいぃ、なんて奇声を発する始末。

「ま、まぁまぁ美綴さん、ね、こういうこともあるって。士郎は特別なんだか
ら」
「ふんっ」

結局美綴がまた根に持ちそうな出来事であったことは間違いなさそうだ。

「でも、やっぱり先輩はすごいです、それに、とっても綺麗でした」
「へっ、あ、そうか?」

はい、と笑顔の桜に、なんだかとても照れてしまい、
思わず目を背けてしまう。
藤ねえもご機嫌そうに、

「久しぶりなのにやっぱり士郎は特別ねぇ、後輩たちも何か見る目が変わって
たよ?」
「はぁ、やっぱり弓だけは敵わないのかなぁ、衛宮には」

美綴の怒りもようやく少しは落ち着いてくれたようだ。
助かった。
などと胸を撫で下ろしていると、

「さて、そろそろ時間だから、片付ける準備して」

藤ねえの声に、はいっ!!と、部員達の声が響いた。 

「あれ、もう終わりなんですか?」
「そうだな、まだ時間じゃないぞ藤ねえ?」

疑問に思って聞いてみた。
すると藤ねえは、

「何言ってるの士郎! 今から準備しないと間に合わないじゃない」
「準備って何の…………………………って、ああ、あれか」

思い当たって気が重くなる。
まだ出る気でいたのか。
生放送といっても、無関係の人間が出れるはずがない。
藤ねえが出るチャンスなどあるとは思えないのだが………

それにしても、そんな個人的事情………いや、事情と言うにもあまりにしょう
もない。
そんなことで部活を早めに切り上げるとは………。

「それじゃ桜、帰ろっか」
「え、あ、はい。それじゃ先生、先に失礼しますね。美綴先輩も」

軽く皆に会釈している桜。
それが終わるのを待って、2人で道場を後にした。


(To Be Continued....)