――――――――――っ!?


それは、いつもと変わらぬ午後の一時。

館の結界が反応した。

そう、あんな事が起こらなければ。


「………………」

それは、いつもと変わらぬ平和な日常。

魔力の波動を感じる、つまり進入してきたのは野良猫や小鳥の類ではない。

そう、今日、この時までは。


外部の物の侵入を拒む結界。
この家にはるか昔から存在し、この家を守り、隠し、育ててきた見えぬ壁。

「………………」

侵入者はどうやら一人。
しかも馬鹿正直に玄関から入ってきた。
まあ、ある程度の魔力を持った者なら、開錠する事はそれほど難しいことではない。

私は、ゆっくりと部屋を出る。
どういう形になるかは分からないが、この館の主人として、来客を丁重にもてなさなければ。

洋館の中は冷たく、他に誰かいる気配は無い。
一人の冷気を切り裂くように歩き、玄関へ。

伝わってくる波動に敵意は無い。
むしろどこか懐かしい感覚。
それでも、あまり油断しすぎるのもよくない。
静かに魔力を左手へと集中…………流動する力を臨戦の域にまで高める。

そしてゆっくりとドアを開け――――――


「っっ―――――!?」


――――――思考が停止するのを、意識の裏側で感じていた。






君がいるなら                末丸






その姿を見て。
私はすぐに言葉が浮かばなかった。

「………………アンタ」

そう小さく呟くのがやっと。

「久しぶり、かな……?」

そこにいたのは見慣れた顔。
そこにいたのは見知らぬ誰か。
そこにいたのはあの日の面影。
そこに…………

「ばかぁっっっ!!!!!!」

息もつかせぬうちに叫んでいた。
激しい怒声にもかかわらず、あくまでその誰かは冷静で。

「………………そうだな」
「何よ、その反応は……」

変わっていない。
そう思っているのは自分だけなのか、過去の記憶と現実をすり替えてしまっているのか。
そう思うほどに、そう思わされてしまうほどに。
目の前のそいつの反応は、最後に別れた時とは違っていた。

「………………」
「………………」

互いに沈黙を纏う。
沈黙だけが時を刻む。

変わっていない。
そう思いたいのか。

変わっていてほしくなかった。
私は既に過去のものとして、そう思ってしまっているのか。

「………………まぁいいわ、あがっていきなさい」

その数々の思いをすべて押さえ込んで。
私は目の前の”客人”にそう告げた。

「……………いや」

しかし、この申し出に相手は首を振った。
目を閉じて、何かを考えるように。
目を開いて、何も考えないかのように。

「……声が聞きたかった、それだけだ」
「………………」

冷たい枷に縛られるかのように、その客はそう言った。

視線を合わせようとはしない。
ずっと俯いたまま。
後悔と。
悲哀と。
絶望と。
苦悩と………。

すべてを受け止めて。
すべてを飲み込んでいる。

少なくとも私にはそう感じられた。

「……それだけ、だから」
「………………」

そう言って立ち去ろうとする。
向けられた背中は開いてしまった距離とでもいうのか。
それほどに深い溝を感じさせるものだった。

「会えて、よかった………」

ゆっくりと背中を向けられる。
その冷たい体躯に向かって、

「そんな……そんな理由で私が納得するとでも思ってるの?」
「………………」

それだけを返す。
そう、これは強がりだ。
ここで彼が行ってしまえば、もう止められない。
もう二度と会えない。
そう、確信していた。

一縷の望み?
彼にいてほしいのか?
彼に行ってほしくないのか?

らしくない。
何を考えているのか。

でも………それでも。

「――――――――」

そんな私の言葉に立ち止まる姿。
歩みを止めたまま、彼は何も言わない。
何も答えない。

肩越しにその瞳をこちらに向けて………

「ふぅ。変わらないな、君は」
「―――――――――っ」

完全に変わってしまった事を告げるように。
何も変わっていない事を教えるかのように。
自然な笑顔で、”そいつ”は言った。





                       ◆





衛宮士郎――――魔術師。

いや、魔術師というには少し変わった存在なのであろうこの男。
魔術師というよりは魔術使いといったほうが正しいかもしれない。

実際彼もそうなることを望んでいたし、そうなったと思う。

しかし、その姿は、彼の理想とはあまりにも遠く。

その経歴も。
その魔術も。
その生い立ちも。
その………理想も。

あれはいつだったか。
もうほとんど覚えていない………でも、確かに記憶の片隅には残っている。
でも思い出したくない。
思い返したくない。

あいつと、私の道が、少し離れてしまった、あの出来事は。
もう………思い出したくない。

無理矢理に忘れた。
強引に記憶から消去した。
忘れられるはずなどないのに。

あいつの顔を覚えている限り。
あの時の彼の涙を、この両目が覚えている限り。
この感情は決して消えてくれないのだ。


”……………なんでだよ、どうして………”


崩れ落ちた建物の残骸の上で、もはや動かぬ小さな躯を抱いて。
そう呟いていた。

10のうち、1を捨てて9を救う。
いや、もっと割合は少ないのかもしれない。
100のうち………いや1000、それ以上かもしれない。
そのうちの殆どのために、大切な1を見捨てる。

多くの人たちの、幸せ、未来のために。

少数の人々の幸せ、未来を砕いた。


”なぁ………遠坂………なんでかな……どうして、俺………”


そうならないために。
歩いてきたはずだったのに。

そうさせないために。
私は彼のそばにいたはずだったのに。

そうなることがないように。
”あいつ”と約束したのに………


”俺は……俺は………!”


そう繰り返して、泣き崩れる彼を、私は見ていることしかできなかった。
声さえかけることができなかった。

幾度の戦場を越えて――――不敗。

彼が歩いた後。
その場には何も残っていない。

夢も、理想も。

彼は讃えられた。
彼は祭り上げられた。

それに反比例するかのように。
彼の顔からは笑顔が消え。
彼のそばに、私の居場所は無くなっていった。

彼は少しずつ、私と距離を取り始め、少しずつ、会える時間も少なくなっていった。
いくら私の弟子という形とはいえ、時間も立てば力も認められる。

そう、彼の戦闘能力は、武器の投影によって、他の魔術師とは一線を介した物となっていた。
無限の剣。
相手の魔術障壁があろうとも、最高の魔弾達がそれを一瞬にして消滅させる。
並びに、干将・莫耶を初めとする武器の扱いも卓越したものがあり、魔術力に偏っていなかったところも、評価されていた。

大義名分の元、敵を殲滅する兵士として。
魔術を隠匿するための掃除屋、始末屋として。

その評価が。
私達ではなく、彼のみに仕事をさせるようになっていった。

より孤独に。
より静かに。
より暗く、深い絶望へと。

足音も立てず歩いていく彼に、私はいつかの紅き弓兵を重ねていた。

目を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる。
心を研ぎ澄ませれば、いつでもあの日の光景がよみがえる。


”私を頼む……”


あの朝焼けの、


”見ての通り頼りないやつだからな……”


あの笑顔が――――――


”君が支えてやってくれ”


胸に痛い。

私は何もできなかった。
あいつが彼になり、彼がただの客人になった。

いや、ただの客人ではない。
変わった客人………この機を逃せば、二度と言葉を交わすことさえできないであろう、”客人”。

あの約束。

少年と同じ笑顔で残してくれたあの言葉。

それが……胸に………


「………どうかしたのか?」


っ、と。
その言葉で我に帰る。
何をしていたのか、自分の意識の中に閉じこもっていたようだ。
情けない。
何をいまさら……。

気づけば、正面には湯気を立てたポットとセットのティーカップが二つ。
彼が煎れたのだろうか、おいしそうにその香りを放っている。

「……やれやれ、疲れているようだな」

あきれたようにこちらを見下ろすそいつ。
その顔は……変わっていない。

そっとカップに紅茶を注いでくれる。
立ちのぼる湯気。

熱さを確かめつつ、ゆっくり口に運ぶ。

……………おいしい。

まあ当然か、春摘みの中国茶で………


”紅茶でよければ入れてやろう”


一番おいしい茶葉で。


”ふむ。感想を聞いてみたいと思っていたが、その顔ではどうやら聞くまでもないようだな”


彼が、入れてくれた味と………同じで。


同じ。

喉を通る潤いはいつかの朝と同じで。

変わってない。
何も……変わって………

「ったく、急に紅茶を入れさせておいて―――――――っ!?」

急に彼の言葉が止まる。
何故だろう、何かあったのだろうか。
ゆっくりと視線を重ねてみる。

あ、面白い顔してる。

などと冗談っぽく思ってしまうほど、
彼の顔は驚いた表情をしていた。

「君は……」
「え――――――?」

そっと自らの頬に触れる。
冷たい感触。
いや、暖かいのか?
自らの瞳より漏れた雫は、ゆっくりと頬を伝って。

ツ―――――――

「………………どう、して」

どちらの呟きか。
静かな空気が沈黙に染まる。

「泣いて………いるのか……?」

伝う涙。
過去の幻想。
変わらぬ思い。
溢れ出る………後悔。

それらを理解した瞬間。

「――――――――っっっ!?」

私はもう我慢できなかった。

「………………」
「………………」

すぐそばで、聞こえるため息。
体に染み込んでくる、彼の腕のぬくもり。

飛び込んでいた。
もう見栄なんて消え去っていた。
いろんな事を一度に思い出して、もうどうしようもなかった。

一瞬彼の驚いた声が聞こえたが、すぐにそれも収まる。

包まれる感触。
少し遅れて、彼から伝わる鼓動。

「………落ち着いたか?」
「………………ん」

濡れる頬も気にせずに、頷く。
こんな姿を見せたのは初めてではないだろうか。
誰の前でも、完璧を装い。
いつ如何なる時でも、完全を貫き通してきたのに。       

――――――――いや、違う。

忘れていたのだ。
いや、それも違うか。

失っていたのだ。
この温もりを。
離れていたから。
自分をさらけ出せる相手がいなかったから。

「らしくないな………」
「………うるさいわね」

小声で反論する。
小さく、皮肉っぽい笑い声が聞こえた気がした。

いつもなら、それでカチンとくるはずなのに、
今だけは、それはとても嬉しかった。

…………暖かい。

久しぶりだ。
これほどに落ち着いた空気の中に身を置くのは。
心地よい。
こいつに癒されているのは何か癪な気分だったが、それは嬉しさの波にかき消される。

認める。
嬉しい。

こいつに抱きしめられて。
この腕に包まれて。

私は泣いている。
嬉しさのあまり泣いてしまっている。

無様だ。
でも悔しくはない。

ただ、こうしていたい。
そう思わせるほどに。
ただ傍に居てほしいと。
そう感じるほどに。

その温もりは、私に欠けていたものを思い出させてくれた。

「ねぇ………聞いても、いい……?」
「………………」

何を聞かれるか、それは大体分かっているのだろう。
返答さえなかったが、その旨に顔をうずめて、構わず続ける。

「どうして……きゅ…ぅ………に…………っ?」

あれ?
どうして?
舌が回らない。
言葉がうまく口から出てくれない。

「ちょ………っ、こ……れ…………」

目が合う。
透き通った瞳。

揺れる。
視界がぼやける。

霧に包まれたかのように。
ゆっくりとその影を薄くしていく。

消える………どうして?

「………………、…………」

彼が何か言っている。
それが、別れを告げているように見えて。

嫌だ。
消えないで。
嫌だ。
ここにいて。
嫌だ。
私を離さないで。

もう、お願いだから……。

力のこもらない両腕で、必死に手を伸ばす。

「………、………………ぁ」

触れた。
届いた。
ちゃんとつかんでくれた。

指を絡めて。
わずかな鼓動を自身に伝える。
彼の鼓動が指から伝わってくる。

「………よか、った……ちゃ……ん……と……………」

つかんでくれた。

その安心感からか、私の意識はぷっつりと切れて、闇に落ちていった。




                        ◆




腕の中で、彼女の力が抜けていく。
無防備な姿をさらして、力無くこちらに体を預けてくる。

軽い。
疲れているのか。
それとも本当に軽いのか。

とにかくその重さを支えるのは、今の俺にとって苦ではなかった。

「……………無用心だな、全く」

これほどにうまくいくとは思ってなかった。
紅茶に仕込んだのは睡眠薬。
それも、それほど強力ではない種類のものだ。

魔術では彼女の対魔力の障壁を越えられないだろうし、それよりなにより、俺はそんな魔術を知らない。

だからと思って薬を選んだのだが………

「またよく眠って………」

ソファーに横たわるその姿に、思わず微笑んでしまう。
変わらない黒い長髪を梳り、優しく頬を撫でる。

暖かい。

こんなにはっきり人の熱を感じたのは久しぶりだ。
何しろずっと一人だったからな。


彼女と時計塔へ行って。

理想を貫くために力を磨いた。

時が流れ、力は使われるべき時にめぐり合う。

しかし、理想は遠く。

道は険しかった。

それでも、俺は力を振るった。

目に映る全てを救うために。

しかし、やはり道は険しかった。

そう、険し……かった。


結局理想は理想でしかないのだ。
儚い夢物語なのだ。
そう思い知らされた。

自分の無力さ。
自らの浅はかさ。
己の愚かさ。

全てが重く、俺の心を締め付ける。

あの時の事は今でも覚えている。
でも思い出したくない。

無理矢理に忘れたのだ。
もう、終わったのだから。

過ぎ去った時は戻りはしない。
終わったことを、既に起きてしまった事を、無かった事にはできない。
それでも、その生涯に誇りを持って……………誇り?

俺は……本当にそう思えているのだろうか?

もう分からなくなった。
いや、もうどうでもよかっただけなのだろう。

誇り。
そんな物は、すでにこの身には残っていないのだから。
朽ち果て、折れてしまった誇りは、修復さえできはしない。

もう、終わったんだ。
きっと。

「全部………」

閉じられた彼女の瞼。
今は眠っている視線に、俺も目を合わせる。

髪の隙間から見えている額に、そのまま自分の額を合わせた。
同じように目を閉じ、少しだけ魔力を起動する。
自身に流れている魔力を、そっと彼女に受け渡すように。
この胸の内を、眠る彼女に伝えるように。

「終わったんだよ………」

少しだけ離れる。
すぐ近くに彼女の顔。
柔らかな寝息と共に、そこにある。

ああ………俺はやっぱり、馬鹿だったな。
こんなに、大切なものから……今まで離れていたなんて。

「ごめんな……」

そうして、ゆっくりと。
影を一つに………。


「最後に、会えてよかった………」


離れても感触はまだ残っている。

抱きしめていた腕。
合わせた額。
今、重ねていた唇。

音を立てないように立ち上がる。

もう二度とここに来ることはないだろう。
もう、彼女に会うことも……ない。

背を向けて、扉に手をかける。
その背中に、

「ん………し、ろ………ぅ………」
「――――――――っ」

ほんの一瞬だけ。
心に迷いが見えた。

ほんの一瞬だけ。
振り払ったはずの未練を思い出した。

ほんの一瞬だけ。
振り向こうと思った。
でも…………

「………じゃあな」

顔を向けることはなく。
視線を合わせることもなく。

返した答えは、また彼女に涙を流させることになるのだろうか。
伝えた思いは、彼女にちゃんと届いているだろうか。
まあ、それも、

「終わったこと………か」

軋むドアを静かに閉めて。
俺はゆっくりと歩き出す。

館を出て、その場を後にする。
外、住宅街の坂道を下っていく。
改めて見ると、ここもかなり変わったようだ。
思えば、よくあの館まで辿り着けたと思う。

目的は無い。
目的地などもう既に無い。

しかし、運命は決まっている。
たどり着く場所も決まっている。
いや、そんな事はどうでもいい。

ただ、俺の行き先を告げる者がいる。
地面に落としていた視線を上げて。
その先には一人の男。
黒い服装に身を包み、無機質な表情でこちらを見ている。

「終わったようだな、衛宮士郎。……では同行してもらおう」
「彼女には……」
「ああ、我々とて、無関係の者に手を出すほど暇ではない」
「…………分かった」

短い返事のあと、俺はその男に続いた。




                       ◆




夢を見た。


いつの事だったか、それさえもよく覚えてはいないけど。


夢を見た。


何が起きたのか、もうよく思い出せないけど。


夢を見た。


そこで――――――


”なぁ……遠坂………”


――――――彼の


”どうしてかな………どうして、俺………”


涙を―――――――見た。


いや、思い出した。

でも、鮮明に思い出せたのはそれだけ。

他の記憶は、まだ黒い靄がかかったようにあいまいだ。
違う。
かかっているのではなく、私が自分でかけているのだ。

思い出したくないから。
でも勝手に思い返してしまう。

確か、あれは戦場でのこと。
緑が多く、森が主な戦いの場となった。

普段から戦場を渡り歩いているわけじゃない。
通常の戦闘なら、魔術師の出る幕は無い。
しかし、相手が通常で無い可能性がある場合、その任務が回ってくることも、そう少なくないのも事実だった。
なにより、士郎と私の力は聖杯戦争を勝ち残ったことから意外にも高く評価されていたし、そういった事例に出くわすことも、他の魔術師よりは多かったはずだ。

別に、そこで特別な出来事があったわけでもない。
今までと同じ戦闘。
今までと変わらぬ………少なくとも私にとってはそうだった。

ただ………彼はそこで、一つの別れを経験した。

それは、一人の子供。
その戦いにおいて、おそらく最も被害をこうむるであろう近くの町。
いや、町とも呼べるかどうか、という山の谷間の小さな村だった。

そこに暮らしていた、一人の小さな子供。
男の子か女の子か、今ではそんなことも忘れてしまっている。

ただ、その髪の色だけは覚えていた。

あの日、目の前で散った、小さな雪色。
赤い涙を流して、朽ちた巨人と共にこの世から去った少女。

その色と、同じだった。

私は大した付き合いはしなかったが、彼は違った。

”必ず、この戦いを終わらせてみせる”

そう、告げていた。

”うん、がんばってね。お兄ちゃん”

そう、約束していた。

強く。
自身に枷をかけるように。
重く。
笑顔の裏に炎を燃やして。

そして、その願いは、その思いは………叶うはずだった。
叶えられる………はずだったのだ。

無常にも、いや非情にもと言った方がいいのか。
当たり前に達成されるはずであろうその約束は、さも当然のように、大きな何かに押し流されるかのように、その意味を失っていった。

運が悪かった。
一言でいえばそれで終わり。
場所が悪かった。
冷静に分析すればそれだけ。

戦況自体はいつも通り。
何の苦労もなく相手を追い詰めていった。

そして、あろうことかその相手は、その村へと逃げ込んだのだ。

元々通常の戦い方をする奴等じゃなかった。
白兵戦よりもゲリラ戦。
正攻法でぶつかるには、なかなか骨の折れる相手だった。

そんなことは分かりきっていた。
だからこそ機を伺い、慎重に戦いを進めていたのに。
その慎重さが、裏目に出た。
決定的な一手を打てぬまま、時間を浪費した結果がこれ。

”………………くっ!”

予想出来得る中で最悪のケース。

いや、戦士であるなら、迷うことなどない選択。
いや、理想を貫くのなら、答えなどない選択肢。


奴等は、村ごと全てを、人質にした。


こうなってしまえば、こちらが取る手段は限られてくる。

交渉・譲歩・妥協―――――――

あらゆる対策が講じられ、あらゆる対策が無駄に終わった。

そして、私達の組織が下した決断は………


”なっ……!? どういうことですかっ!!”
”多少の犠牲はやむを得ない………だって?”

”突入って………今刺激を与えたら………!!”
”これしかない………本当にそうなのかよ……?”


…………武力行使による敵の殲滅。

その作戦・指令書の中に、住民の安全を最優先という文字はなかった。

あったのは、

”敵の殲滅が最優先。民衆のは出来得る限り保護”

という一文だけ。

そこに、あの子のことなどもちろん書いてはいない。
周りの人達も、あの子の親のことも。

魔術協会は、魔術の隠匿を一に置き、他は二の次に行動を起こす。
このケースが、最も分かりやすい対応だろう。
それ以上反論はしなかった。
しても無駄だったろうし、する必要も無かった。

まだこの時点では希望はあったのだから。

いくらゲリラ戦が得意とはいえ、魔術師の力の前にどこまで通用するか。
そう、戦力差は歴然としていたのだ。
障害は、民衆だけ。
これなら、うまくいけば被害が出る前にすべてを終わらせることができるかもしれない。
そう祈るように、私は彼と共に意識を研ぎ澄ましていった。

そして、作戦は決行された。
初めはあいまいだった記憶も、思い出すにつれて徐々に鮮明さを増していく。

作戦といっても、目的は一つ、手段は無限。

予想通りに、事は運ぶ―――――――はずだった。


夜の闇に乗じて、村の中へと侵入する。
道に人影はない。
しかし、ここで私は妙な違和感に襲われた。

”誰も……………いない?”

おかしい。
誰もいない。

警戒しているであろう奴等の一味も、住民の姿も、何もない。

”どこだ…………!?”

彼の声が荒い。
血が沸騰しそうな横顔。
その熱い思いは、暗い中でも確かに伝わってきていた。

走る。
村中を探した。
そして行き着いた先に――――――


”な―――――――――!!!”


私たちは言葉を失った。




                       ◆


                     

夢を見た。


それはとても懐かしく、きれいな笑顔。


夢を見た。


それはとても残酷で、記憶の奥に封印していた風景。


夢を見た。


俺は、そう。
あの時、あの場所で―――――――


”うわああああああああああああっっっっっ!!!!!!!!!”


―――――――道を踏み外した。



そこに彼女と二人でたどり着いた時、怒りで脳髄が焼き切れるかと思った。

あの時俺は………初めて本気で…………相手を殺すと、完全に潰す、と心に誓った。

目に映る光景はまさに処刑場。
村で一番建物・家屋が多く並んでいるところ。
その間の広場。
村中の人々がそこに集められていた。

小さな村とはいえ、その数は多い。
50………いや、100近い数の人々の気配。

そして奴等もそこに。
住民を囲うように、陣形を組んでいる。
その数は7人……それで全員。

あの子はどこに……………………っ、いた。

一番奥。
リーダー格の男のすぐ近く。

縄か何かで動きを封じられているのだろうか。
その様子には生気というものが感じられない。
いや、あの子だけではない。
他の住民も、どこかうつろな目で、意識がないような様子。
それはまるで、裁きを待つ囚人の列を思い浮かばせた。

怒りが―――――――理性の針を振り切ろうとする。

裁き、だと?
他人の領域を侵している奴等に、ここの住民が裁きを受けるだと?

許せるものか……断じて。

今にも発動しそうな投影を怒りで押さえつけ、そのまま奴等のリーダーにぶつける。
その視線の先で、

”来やがったか、こっちにはこれだけ人質がいるってのに”

下卑た顔でたたずむ男。

”最後通告をしにきたのよ”
”彼らを解放しろ……今ならば命だけは助けてやる”

彼女と共に魔力を起動させながら言った。
呪文を呟いて………自己を変革させる。

その間に、答えが返ってくる。

”あいにく貴様らに殺されるのはごめんでな。もちろんこのまま降伏する気もさらさらない。このまま逃げ切れるとも思えねえし……”

口の端を歪めて。
何かを悟ったような。
すべてを諦めたような。
そんなあやうい表情で、そいつは右手を何もない宙にかざす。


そこで反応できなかった時点で、俺達は負けていた。


”だからよぉ、このままこいつらと貴様らを道連れにして、地獄までの案内を頼もうかと思ってなぁっ!!!!!!”


その言葉が吐き出されたときには、すでに異常は始まり、目に見えるほどになっていた。

光。
暗い闇の中でもはっきり見える紫の曲光。
これは……呪詛の反響の証。

”なっ、これって……!?”

急速に集まりだす光。
その発信源は…………

”魂………だと!?”

その場に集められた、すべての住民の魂だった。

魔術師………!
奴がそうなのだと気づいたときには、すでに工程は終了していた。

いくら未熟とはいえ、ここまでの量を溜め込んだのだ。
その威力は計り知れない。
おそらくこの場に存在するもの全てを吹き飛ばしてしまうほどの、強力な方陣。

しかも、これはあらかじめ用意されていた結界方陣。
住民に生気が感じられなかったのも、これでずっと魂を吸い取られていたからだろう。

光は収束し………死の戯宴の幕が上がった。

主役はここに居る全員。
その中で、俺たちだけが、惨劇を前にする観客だった。

”ははは、はははははははははは!!!!!!!!! あーーーーっはっはっああああああ!!!!!!!!!!”

埋まる視界。
埋め尽くされる神経。

間に……合わない……!!

何も見えない。
何も感じない。
……………はずなのに。

見える、感じる。
あの子の顔が、悲痛な叫びが。

”助けて……お兄ちゃん……”

重なる。
途切れる。
狂う。
壊れる。

いつかの、救えなかった白い少女のように………無残に、容赦もなく、一瞬で。
その儚い命が散った。

”そ、んな…………”

自身の防御で精一杯。
何かを考えている暇もなかった。
無論、他の誰かを守ることなど、出来るはずもない。

無駄だとわかっていて手を伸ばす。
伸ばしたのに………なのに、

つかめない。
届かない。
触れることすら………出来ぬまま。


全ての希望が絶望にとって変わられる間、奴の笑い声だけが耳に残っていた……………




                     ◆




夢の続き。


開放された呪詛は、周りの建物を吹き飛ばし、その場にいた私と彼以外の全ての命を奪って、その熱ごと虚空へと消えた。


夢の続き。


目に映っているのは廃墟の上に跪いている彼の姿だけ。


夢の終わり。


それは―――――――


”うわあああああああああああああああっっっっっ!!!!!!!!!!!!!”


―――――――私たちの別れの道標。




                     ◆




夢の続き。


触れた体は、奇跡的というべきなのか、姿形だけは、ちゃんと生きていたときのまま残ってくれていた。
そう、残っているのは体だけ。
その中身は全て失われている……全て、奪われた後。

もう、笑うこともない。
もう二度と、動くこともない。
もう決して………この瞼が開くことはない。

叫んだ。
出来る限りの声で。

叫んだ。
自身の喉が潰れるかと思うほど。
だというのに………。


その答えはどこにも見えず―――――


”なぁ………遠坂………どうして、俺…………”


―――――そして誰からも、返ってはこなかった。


                                       《to be continued.....》