「さて、これで良し……っと」

 いつものように、大麻の類いを焚いた香を離れの数箇所に設置し終えた琥珀
は、一呼吸つくと障子に映る絡み合う二つの影を眺めた。影は一時も止まる事
を知らぬように、障子紙の上をゆらゆらと蠢きつづけていた。琥珀はそれをな
んの感情もなくただ見つめていた。

「姉さん」

 琥珀が振り向くと翡翠が離れの入り口に畏まって立っていた。琥珀が人差し
指を立てて口に当てるジェスチャーをする。だが翡翠は黙って瞳を閉じると静
かに首を横に振った。

「これでもう一週間になります。もう止めにいたしませんか」

 だが、琥珀は悪びれた風もなく笑顔でそれに返した。

「大丈夫よ翡翠ちゃん。……秋葉さまはわたしが、志貴さんには翡翠ちゃんが
いれば倒れることはないんだもの。ゆっくりと二人だけの時間を楽しんでもら
いましょう?」

 ね? っと翡翠に同意を求めると、琥珀は翡翠を促してそっと離れを後にした。
翡翠は立ち止まったまま複雑な表情で障子に映る影を見つめていた。

 本当にこれで良かったのだろうか。
 翡翠は後悔にも似た念を抱いていた。
 姉は狂っている。これは志貴さまや秋葉さまが望んでいることではない。第
一、こんなことをしても姉の受けた屈辱を晴らす復讐にはなりはしない。すぐ
にでも志貴さまと秋葉さまを正気に戻すべきだ。

 だが翡翠は姉に逆らうことは出来なかった。

 幼い頃、自分は姉が虐待を受けていることを知らずに、日の当たる広い庭で
志貴や秋葉と遊んでいた。心の底から笑いはしゃぎ合っている子供達を、差し
込んでくる薄い光を頼りに屋敷の窓から眺めることしか出来なかった姉のこと
を思うとどうして今の姉を止めることが出来よう。
 自分はあの頃の姉に何もしてやれなかったではないか。姉は自分の分まで陵
辱され続けていたというのに、それを知りもしなかった……。
 わたしは――――。

「翡翠ちゃん」

 いつの間にか戻ってきた姉の言葉に翡翠はふと現実に戻された。

           ・・・・・・・
「翡翠ちゃん、私達には遠野家当主代理としての仕事があるのよ? だからも
う戻らないと」

 翡翠はその言葉の持つ意味を、ゆっくりと十秒ほどかけて頭に理解させた。
「――――――はい……姉さん」
 もう、翡翠は悩むのをやめた。先ほどから煩い程耳に付いて聞こえていた志
貴と秋葉の絡み合う喘ぎ声も、もう翡翠には聞こえなくなっていた。

 音もなく、屋敷の本邸へと消えてゆく二人の侍女達。
 残された離れには、微かに漂う紫煙と蠢く二つの影が絡み混じり合っていた。

 ――――いつまでも。
 ――――狂々と。







                                       < END >






【ヤドリギ】
ブナやヒノキなどの大木の枝に根を下ろし、その枝から水分や養分を吸収する
寄生植物。
宿主から栄養を補給するため、その青々とした葉は真冬でも枯れることはない。