『BAD END』
                       文月 文


(1)


その日も秋葉は怒り狂っていた。
視殺せんばかりの苛烈な視線で眼前の翡翠を睨んでいる。

「翡翠。あなた、兄さんの体が弱いってことは知っているわね。いつ、倒れてもおかしくないということを」
「……」

強い視線を翡翠が受け止められるわけがなく、メイド服の少女は頭を下げ縮こまっていた。

「それに、今、また妙な事件が起こっているのよ。今度も要らぬ騒動に巻き込まれたら……」
「……」

二、三日前。この街の地下水路の中から大量の死体が発見されたらしい。
詳細は警察発表が無いため不明だが、マスコミでは以前起こった猟奇殺人事件と関連づけて騒ぎはじめている。
秋葉の兄の志貴は、その猟奇事件に深く関わり死にかけた。なおかつ志貴は未だ事件の子細を喋ろうとしないこともあり、秋葉は嫌でも心配してしまう。

翡翠は前回の事件でも、志貴の言いなりになって彼の夜の徘徊をサポートしていたようだが、あの結果を見ればさすがに自分の行動を反省し翻意しただろうと秋葉は思っていた。だが、どうやら翡翠の考えは秋葉と異なるようである。

「聞いているの。答えなさい」
「……はい」

蚊の鳴くような声で翡翠は答える。秋葉は黙秘権など許しはしない。ならば、そう答えるしかないだろう。

「そう。なのに、なんであなたは兄さんの夜遊びに手を貸すわけ? それも一回や二回どころの話じゃない。私の目を盗んで何度も何度も! 聞けば、琥珀にも気づかれないようにしているという話じゃないの?」

秋葉は彼女の脇に控えているはずの割烹着の少女に視線を移す……が、琥珀はいない。

「琥珀?」
「……そうなんです。ええ、このままだと志貴さんどうなるかわかりませんねー。え? 病気? 病気よりも秋葉さまのお仕置きの方が……」
「琥珀!!」
「あ、はい。なんです。秋葉さま」

部屋の片隅で、外線電話をしていたらしい琥珀が秋葉の呼びかけに答えた。ちなみに答えた時に保留ボタンは押してない。相手に会話は筒抜けである。

「誰と話しているの?」
「アルクェイドさんですよ。経過を教えて欲しいって頼まれましたから」
「アルクェイドぉ?」

秋葉はその名に露骨に嫌そうな顔をし、吐き捨てるように言った。

「切りなさい」
「あの、まだお話の途中なんですけど……」
「いいから切りなさい!」

主人の命令に侍女は、がちゃんと荒っぽく電話を置いた。その切り方に満足したのか秋葉は何事もなかったかのように先程と同じことを尋ねた。

「琥珀は、兄さんや翡翠と共謀はしてないわよね」
「嫌ですよ。秋葉さま。わたしが噛んだら事が露見するわけないじゃないですかー」
「……」

思わず秋葉は難しい顔をする。
たしかにそうだろう。同じ顔をしていても、箱入りで世間知らずな翡翠と天性の犯罪者の琥珀、格が違いすぎた。
もし、琥珀が絡めば秋葉の目を晦ますなど造作もない。琥珀の頭脳の悪魔的切れは秋葉が嫌というほど知っている。

「たしかに、そうね……」
「そうですよー。疑うなんて酷いです。わたしは秋葉さまの忠実な侍女なんですから」

その言葉に秋葉はさらに不機嫌そうな顔になり、琥珀はひたすら楽しげに微笑む。
琥珀の言葉に嘘はない。
たしかに、彼女は志貴の夜遊びを助けてはいない。ただ、気づいていても放っておくだけだ。
琥珀としては、志貴にどんどん家を出てもらいたい。
その理由は単純で、彼女は志貴の「才能」を評価していることにある。

前回の猟奇事件のシナリオを書いたのは実は琥珀であった。
そのシナリオを無茶苦茶にしたのは他ならぬ志貴である。むろん彼は琥珀に対抗しようとしたわけだはない。天性のトラブルメーカーである志貴は無意識に大事件化させてしまったのだ。琥珀がシナリオを修正することが不可能なほどに。
数年がかりの、彼女の全存在をかけた策略は、意外な伏兵の暴走により陽の目を見ないうちに潰えてしまった。極秘裏に飼っていた吸血鬼というおもちゃも失われ、完璧なまでの再起不能。琥珀はただ笑うしかない。

そういう志貴のことだ。第二の猟奇事件にも絡むに違いない。──今度の犯人は、志貴を放っておくわけがないから。
前回と違い、琥珀には事を為す大義名分はない。
元々、以前の目的たる「復讐」にしても彼女自身に取ってはたいした意味はない。琥珀に取って重要なのは「何かをしている」という感覚だけだからだ。
マグロが泳いでいないと死んでしまうように、琥珀は「何か」をしないと精神が壊れてしまう。
刺激が。
刺激が欲しかった。
しばらく生きていけるだけの刺激が。
その刺激の作り手として、琥珀は密かに志貴と──新たなる吸血鬼に期待していた。

「最近、志貴さんは体調が優れないから、大人しくしているようにとは言っているんですがねー」

秋葉に向かって琥珀はぽつりと言う。これも真実その通りだが、そう言うことで「自分の体のことは自分が一番知っている」と考えている彼を、より動き回らせようという深慮遠謀だったりする。
犬も歩けば棒に当たる。トラブルメーカーがトラブルに当たってくれるために、動いてもらうしかない。

「だいたい、兄さんは昨日も学校を早退したのでしょう?」

琥珀の言葉に秋葉は話を続ける。意外に聡く、琥珀の真意も薄々勘付いている彼女だが、思慕している志貴のことになると頭がそれだけになってしまうという致命的な弱点がある。
その心理を見て取った琥珀はついでと言ってはなんだが、秋葉も煽る。外にトラブルが無ければ、内に起こすのも悪くない。要は、彼女が面白ければそれでいい。後は野となれ山となれ。

「ええ、帰ってこられた時は顔が真っ青でしたよ。まさか、その夜のうちにアルクェイドさんのところに遊びに行かれるとは……盛りなんでしょうかね? あははっ」

クスクスと笑う琥珀に秋葉は面白くなさそうな顔をしてしまう。何しろ、その通りだし。志貴の件では琥珀に迷惑をかけていることもあり注意をするわけにもいかない。
そうなると、当然、不満は翡翠へと向けられる。

「私が注意したのは、一回や二回ではないでしょう? なのに、何故あなたは言うことを聞かないのかしら?」
「……」
「答えなさい、翡翠!」
「おいおい、何も翡翠に当たり散らすことはないだろう?」

ロビーに入ってきたのは、騒ぎの元凶たる志貴である。

「志貴さん。しばらくは安静にしていてくださいって言いましたよね」

呆気にとられている秋葉と翡翠の代わりに琥珀が職責に叶った注意をした。言うまでもなくポーズである。

「大丈夫だよ。もう治ったから」
「治ったかどうかを決めるのは、志貴さんじゃなくてわたしなんですけど……」
「大丈夫、大丈夫。俺のことは俺が一番良く知っているって。何ともないから、今度のことはこれでお終いな」
「そう言われるのなら、わたしの立場としては、これ以上は言えませんが……」

のほほんとそんなことを言う志貴に、呆れたように肩を竦めた琥珀は会話をを打ち切ると、飲み物を作りはじめた。
彼女の仕事はあくまで秋葉の侍女である。志貴に必要以上に関わる義務も無ければ権利もない。
琥珀はそれで良いものの、彼の保護者でもある秋葉は、立場上でも放っておくわけにはいかない。怒りの声で兄を注意する。

「まったく、何で兄さんはおわかりにならないのですか! 少しは自分のお体と保護者としての私の気持ちと立場をお考えください!」

一気に捲し立てると、琥珀が手渡してきたアイスティーを受け取った。修羅場だというのに琥珀はそつなく自分の仕事をこなしている。
秋葉はそれをひったくるようにして取ると、一気に飲み干す。カランと氷の音を立ててつつ、グラスをテーブルに置くと、再びお小言を再会した。

「いいですか! 兄さんは学生なんですよ。不純異性交友をしたければ成人されてからなさってくだい。この家にいる限りはそんなこと、私が認めません」
「そんな横暴な……」
「何が横暴ですか。私は兄さんの保護者なんですよ。命令するだけの権利も義務もあります」
「でも、俺はおまえの兄貴なんだぜ?」
「長幼の序を問うのですか? なら、私は家長です。家長の命令には従ってください」

さらに秋葉は、琥珀から受け取った二杯めのアイスティーを半分ほど飲む。言うだけ言って少しは落ち着いたのか、怒声ではなく落ち着いたトーンで切々と語る。

「何で、アルクェイドさんがよろしいのですか……」
「何でって言われてもなぁ」
「アルクェイドさんは人間じゃないんですよ」
「それは知っているけど」
「兄さんは人間じゃなくても構わないと言われるのですか?」
「まあ、見た目が人間だしな。それにアルクェイドは悪い子じゃないぞ」

身も蓋もない返事をしつつ、自分の脇に控えている翡翠を見つめる。まるで彼女に助けを求めように。

「わたしもアルクェイドさんは悪い方だとは思いませんが、この度の志貴さまの行動はたしかに問題があると思います」

一瞬、助け船を出すかに思えた翡翠だか、単に自分の尺度で感想を述べただけであった。翡翠は翡翠で志貴と同じくどこかずれたマイペースな行動を取る傾向がある。

「問題って、何だよ、翡翠?」

もちろん、志貴としては翡翠の肩を持つべく登場したのに、こう返されてはやはりどこか面白くない。そんな心理を知ってか知らずか翡翠は答えず、はす向かいにいる姉の琥珀の方を見た。

「あれはあんまりですよ、志貴さん。いくら志貴さんを贔屓している翡翠ちゃんとしても、ちょーっと幻滅しても仕方ないですよ。だって……わたし、志貴さんが腹上死したのかと思っちゃいましたから」

ケラケラと笑いつつ琥珀は語る。それを受けた他の三人はそれぞれ苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
志貴はもちろんバツが悪い。
翡翠は穢れたものを見る目……不潔というよりおぞましいという感じだろうか? 彼女は男性恐怖症なだけあって、セックスへの嫌悪は病的でもある。
そして、秋葉は……こちらは身内の恥に怒りを堪えていると言う感じか? 琥珀の言っていることは志貴の反応からして、おそらくは事実だ。無下に注意をするわけにもいかない。

そんな時、壁の柱時計が重い音を十一回鳴らした。時報に興が殺がれたのか、琥珀は笑うのをやめた。その隙に秋葉は話題の変更を試みる。

「それで、兄さんの体は大丈夫なのよね、琥珀?」
「えー、はっきりいえば駄目です。他の方でしたら、すぐ入院した方が良いってい言いますけど、志貴さんは駄目なのが普通なので、そういう意味では大丈夫です」
「複雑な保証の仕方ねえ……」

はぁ、と深く溜息をつきつつ、秋葉はグラスの中に残った残りのアイスティーを飲み干した。

事の起こりはこうである。
今夜、秋葉は仕事絡みの会合に出席する予定があった。
それを好機と見た志貴は、秋葉の留守を狙って家を抜け出してアルクェイドの家に向かったのである。
ただ、今日の志貴の体調は絶不調だった。学校を一限早退するほどに。
もっとも、これもいつものことである。志貴の慢性的な体調不良に慣れきってしまった翡翠は、志貴の「大丈夫だ」の言葉にさして疑問も心配せず彼を送り出したのだ。

そして、事件は起こった。
アルクェイドと同衾中、志貴は倒れたのである。
この悲劇だか喜劇だかわからない事件に、世慣れないアルクェイドは非常に慌て遠野家に助けを求めた。
電話を取ったのは翡翠だが、過去のトラウマで男性に触ることはおろか、屋敷外に出ることもできない彼女にどうすることもできない。
結局、医学の心得と抜群の処理能力を持つ琥珀に志貴の回収を頼み込むこととなった。

これだけでも十分間が悪いのに、琥珀たちの帰りと秋葉の帰りが見事にぶつかってしまったのである。
これが、今から一時間ほど前のこと。
かくして、それからの一時間で騒ぎはここまで進展したのだ。

疲れた体で家に帰れば、さらに疲れる事態が待っていた。ある意味、以前の猟奇事件の最中よりも、秋葉の心労は大きい。
三杯目のアイスティーを口にしつつ、秋葉は双子の使用人たちに適切な指示を下す。

「これから一月の間は兄さんは学校以外への外出禁止です。この取り決めを破ろうとした場合、翡翠・琥珀の両名は実力を持って阻止すること」
「睡眠薬や笑気ガスを使っても構いません?」

質問したのは言うまでもなく琥珀。秋葉は二つ返事で答える。一瞬の躊躇もない。

「許可します」
「いつも窓から抜け出されますので、封印してはいかがでしょう?」
「許可します。すぐに業社に手配なさい。そうそうシエルさん辺りに連絡して対吸血鬼用の結界も張ってもらうように」

その指示に翡翠はこくりと頷くと、卓上の電話を取り、どこかに連絡をはじめた。

「ちょ、ちょっと待てよ。そりゃいくらなんでもやりすぎだろ?」
「……やりすぎ?」

秋葉の顔が一層険しくなる。

「自分の始末もできないような子供は隔離するしかないでしょう!? 一人前の扱いを受けたかったら一人前の行動をできるようになってからにしてください」
「一度や二度の失敗でそこまで言わなくてもいいじゃないか?」
「兄さんは、一度や二度の失敗ですぐあの世行きなんですよ! わかってない! 全然わかってない!! そんな人の意見など聞けるわけがないでしょう?」

四杯めのアイスティーを煽りながらも、秋葉の怒りは一向にクールダウンする気配が見えない。今にも頭から湯気が立ち上りそうだ。
だが、ふいにその怒りの炎に湿り気が帯びてくる。

「──何でですか?」
「何でって、何が?」
「有間のおばさまに、今までの兄さんの素行は聞きました。うちに戻るまではほとんど問題行動を起こしてなかったそうじゃないですか? それを何でうちに帰ってからは、こうも次から次へとトラブルばかり起こされるのですか? こんなことなら──うちに戻すんじゃなかった」

自分の紡ぐ言葉で、秋葉はより一層無力感に苛まれたのか肩をがくっと落としていた。

「なんだよ。俺のせいだって言うのかよ?」
「兄さんのせいじゃなかったら、アルクェイドさんのせいにでもするんですか?」

幼少期から重責を負ってきた上、元々性格が潔癖な彼女は責任逃れをもっとも嫌う。

「秋葉さま、私が見た限りアルクェイドさんも志貴さまには結構迷惑されているようですが……」
「うん。そう言われればそうかな?」

琥珀のツッコミに答えたのは、どこからともなく現れた純白の美女であった。

(To Be Continued....)