テレビがある情景


とんとん、と軽くノックする。
すぐにドアが開く。

「あれ、志貴さんですかー?」

 そこには、琥珀さんが驚きながら立っていた。


月姫SS
テレビという情景


「もし時間がよろしければ、テレビでも見させて貰おうか、と」

といって手に持ったお盆を恭しく差し出す。
 そこにはお気に入りの逸品である羊羹と急須がのっている。
 当然湯飲みは2つ。

「お納め下さいませ」

そんな仰々しい態度に、口元を綻ばせると、

「はい、もちろんです。……とその前にいいですか?」

琥珀さんは静かにと口に指をあててから、きょろきょろと廊下を見渡す。
 もうすでに消灯時間の夜10時をまわっている。もしこれが秋葉や翡翠にみつかったら――大目玉どころか、琥珀さんの部屋に出入り禁止となってしまう。
 琥珀さんは婦女子で俺は健全なる男子――それが消灯時間を過ぎてから密会――じゃないんだけど――ひとつの部屋にいることが知れたら……どんな目にあわさせるのかと思うと…………、思わずため息がもれてしまう。
琥珀さんはあたりを確認すると、

「どうぞ中に入ってください」

言って、琥珀さんはさあさあと俺の背中を押して部屋へと招き入れてくれた。


 中に入るとテレビがつけっぱなし。
 騒音に近い笑い声とタレントの声が聞こえてくる。
 よくある雑音。
 でもそれが心地よい。有間家を思い出させてくれる。
 この遠野家の静寂さも悪くはない。しかし静寂とは、静かでもの寂しいと書くとおり――なんていうか寂しいのだ。
 だからついつい、琥珀さんの部屋に来てしまう。入り浸ってしまう。
 ここは、ぶっちゃけた話、うるさい。騒然としている。
 理由はひとつ。テレビがあるからだ。
 素晴らしく猥雑な文明の利器。
 日常のささいなひとコマを演出してくれるもの。
 そんな文明の利器を琥珀さんとふたりでぼんやりと見ている。
 このぼんやりとした、たゆんだ、まったりとした時間。
 この心地よさ。
 なのに秋葉はテレビを認めてくれない。
 お兄ちゃんは悲しい――って俺が来る前は滞在していたお客さんがいて、テレビがあったはずなんですけど――秋葉はそれも見ていなかったのかな?

 ふと尋ねようと、画面から琥珀さんを見る。
 そこはテレビをぼんやりと見る、可愛い和服の女性がいた。
 タレントのボケとつっこみを聞いて微笑みを浮かべている女の人。
 その名前と同じ色の瞳はテレビの映像をうけてキラキラと輝き、
 両手を顔の前で合わせ、
 両親指はその形の良い顎を乗せ、
 両人差し指はその唇にふれ、
 じっとテレビを見つめている。
 その可憐な唇には微笑。

 琥珀さんは笑っている。
 でも、その笑みが本物かどうかわからない。
 あのこと。
 あのときのこと。
 彼女は遠野家に対して復讐を果たそうとして、シキをそそのかし、秋葉をそそのかした。
 でも今思えば琥珀さんは本当に復讐を果たそうとしたのかどうか――。

 わからない。

 彼女は本心をけっして明かさない。
 人当たりがよい笑みを浮かべているが、その笑みを意味するモノは拒絶であり――。
 本当の自分を隠すための仮面であり――。
 周囲への壁であった。


 俺は拒絶されなかったのであろうか――。


 俺は仮面の奥にいる本当の姿をちゃんと見たのか――。


 俺はその壁を崩せたのであろうか――。



 わからない
 ワカらない
 ワカラナイ



 でも。
 それでも、今ここで笑みを浮かべている女性が本当に笑っている、
 そう信じたくて彼女にイタズラする。


 お茶うけの羊羹に楊枝をさして、

「琥珀さん」

とそっと話しかけてみる。

 なんですかー志貴さん、といった表情でこちらを見る。
そんな彼女に、羊羹を突き出す。


ちょっとびっくりした表情。
 目の前にある羊羹をじっとみて、ちょっと寄り目気味。

その口から質問が出る前に――。

「はい、あーん」

 突然のことに固まる。
 その言葉と羊羹の意味を理解したのか、見る間に赤くなる。
 視線は羊羹と俺の顔をいったりきたり。
 おたおたして――そして俯く。

 でもやめない。

「はい。あーん、して」

 彼女はおたおたとして、どうしていいのかわからない、まるで童のようで――。

 ここでまたちょっとイタズラ。

「いやなのかな」

 ワザとすねてみせる。

「あ、いえ、そんなことはありません……!
あの志貴さんにそんなことをされるなんて――。
いえ、いやじゃありませんから。本当ですよ志貴さん。
とても嬉しいのですが、こういう不意打ちに慣れていなくて……」

一変して火がついたように話し始める。

じいっと彼女を見る。

「……」

 聞こえるのはテレビの雑音。
 その音はまるで遠くて――。

「……はい」

 彼女はそっと、それはとてもとても柔らかく微笑んで――。
 見たかった笑みを浮かべて
 目をつぶり
 そっと口をひらく。

  はい

と羊羹をそっと口に入れてあげる。
それをそのピンク色の唇で受け止め、挟み込み、口に入れる。

さらに真っ赤になって――。
下を向き

「……ありがとうございます」

 テレビの雑音にまぎれて普通なら聞こえない声――。
 でもそれははっきりと聞こえていて。

「どういたしまして」

と笑いかける。

「あはは、こういうのって……照れますね」

彼女は手を真っ赤に染まった頬にあてて、いう。

「そう」

とわざとすっとぼけた返事をする。

「そうですよ……ふふふ」

彼女は笑ってくれる。

「じゃーですねー」

そういうと、彼女も羊羹を指でつまむと、

「おかえしですよー」

その白く細い指に抓まれたそれを差し出してくる。
目の前にそれが差し出されると、

 ――あ

 かぁーと火照ってくる。

 そんな様子を見て、彼女は目をそっと細める、でしょー、と言いたげに。
あんなことをいっておいて、やっぱり照れて赤面してしまい、

 ――えぇえぇ琥珀さん、参りました。クールに決めようとした俺が浅はかでした。

と心の中で同意した。
テレビで観客がドッとわいている。
でも視線はその羊羹と指に集中していて――。
そして、あーんと口をあける。

「はい」

と琥珀色の瞳を細めたまま、そっと口に入れてくれる。
口を閉じると――。

 ――!

 そこには甘い羊羹などなく、彼女の指が入り込んでいた。

彼女の軽やかでいたずらっ子のような笑みが耳に心地よく聞こえる。
ちらりと見ると、羊羹は下に落ちていて。
口を開けようとすると、
彼女は指をそっと動かす。
軽く歯と唇で挟まれたそれは、的確に快楽を引き出す。
上唇をなで、舌を弄び、歯茎をこすり上げ、そして前後に動いて唇を甘く疼かせる。
 ――そして抜く。
 ほんの瞬間のできごと。
 一呼吸もなく、ただ指をくるりと動かしただけ。
 なのに、それだけで、口は甘く痺れていて。

彼女はそっと笑い、その唾液でてらてらと濡れた指を自分の口に含む。

その淫靡な様子にどきりとする。
舌をそっとだし、その指先をひと舐めする様子はとてもソソられて。
誘われているようで。
ただその様子をじっと見ているだけ。

テレビがぷつんと消える。

聞こえるのは――自分の心臓の鼓動と息だけ。

「志貴さま」

彼女はわざと「さま」をつけて呼ぶ。
使用人として主人に対して言う言葉で。

「テレビではなく、わたしを見てください」

そして手をそっと重ねてくる。
暖かくいや熱く、そして琥珀さんの鼓動も伝わってくるようで。
その瞳は期待と羞恥に潤み、熱く見つめてくる。

「――お情けをくださいませ」

俺はその言葉に押されて、彼女を押し倒す。
 彼女と自分の熱い息が絡まる。

 誘ったのか、それとも誘われたのか――。

 イタズラのつもりが――イタズラされているのかな
なんて思いながらも。
 自分を求めてくれるのが彼女の本心だと信じて――。

テレビのある情景は終わりを告げ、恋しい者どうしの甘く柔らかな逢瀬が始まった……。



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