ナルバレック文書



 埋葬機関の長、ナルバレック女史は、真っ白な部屋で、報告書を読んでいた。
 それは極東でおきた死徒二十七祖を浄化したいうものであった――しかも2体。信じられないといってもよい。ただの死徒ならばまだしも二十七祖の2名である。
 しかしナルバレック女史は眉一つ動かさず、ただ読みふけっていた。
レポートをよこしたのは、その転生無限者を追いかけて渡ったシエルことエレイシアである。
 エレイシアのレポートによると、「転生無限者」「アカシャの蛇」ミハエル・ロア・バルダムヨォンと、「混沌の群れ」ネロ・カオスである。
 詳細は不明で、よくわからないまとめ方になっている。
 どうやら真祖のアルクェイド・ブリュンスタッドが関わって倒したようである。それ以外は、ごまかそうとしているのか、詳細に書かれていない。ただそのまま汚染地域の浄化およびブリュンスタッドの監視の任務につくことだけが簡素に述べられるだけであった。
(――無駄なことを)
つい冷笑する。
 自分に逆らうかも知れない者に監視をつけぬほど、ナルバレックの者が愚かではない。密かに教会の者が、エレイシアの行動を逐次連絡してくる。
 高校生として転入したこと、遠野志貴のこと――何一つ残らずわかっている。
 そのことを知らないのは当の本人のみ。
 あまりにもその愚かさに、冷笑するばかり――。
 しかし正式なレポートにブリュンスタッドの名を載せるなどとは。
(――だからロアの仔は)
舌打ちする。
 もし目の前にエレイシアがいたら――ナルバレック女史はコードネームであるシエルではなくわざわざ本名のエレイシアと、しかも完璧なフランス語のアクセントで呼ぶ――嫌がるに違いない。
 何度も癇に障るような舌打ちをする。
 しかし、やめない。忌々しげな事実が舌打ちをやめさせないのだ。
 あの真祖、この世界の影に生きる、闇の生物、主の祝福を受けていない妖魔――たとえ自然界の精霊に近きものといえども、吸血衝動に駆られる、夜の覇王ヴァンパイアと、埋葬機関が共闘などとは。
 もし目の前にエレイシアがいれば、説明し共闘などではないとはっきりと断言するだろうが――断言しようが説明しようが、そんなことはナルバレック女史には関係ない。気に入らないのだから。
(埋葬機関としては『恥』だな――もう一度、殺すか)
 しかし本当にアカシャの蛇が浄化されたのであれば、もうエレイシアは蘇ることはない。蘇生無限者としての力は失ったわけである。
 あのエレイシアが蘇るたびに、殺害したのは、埋葬機関であった。死徒を浄化するのが埋葬機関の役目。当然といえば当然である。
 しかし他の死徒の浄化のため、あらかたの機関の者が出払っていたため、エレイシアを何度も殺したのはナルバレックその人であった。
 幾度も幾度も――それはナルバレックにとって愉悦だった。試せなかった殺し方、くびり方、拷問方法――そのすべてが、しかもたった一人に試すことができたのである。
 あれほど楽しかったことは、ここ近年なかった。
 しかしあれほど楽しかったことも終わりはくる――エレイシアはロアの転生体ゆえにロアの魂が地獄へ堕ちるまで、肉体が現世に留まるという事実に、埋葬機関としての利用方法を見いだしてしまったのだ。組織を束ねる者として利用できるものはすべて利用する。なぜならば埋葬機関には勝利しかゆるされないからである。
 幸いに、エレイシアはロアの身につけていた魔術も憶えており、そして自分の罪も覚えていた。
 洗礼を施し、神の使徒にするのは容易だった。
 ずば抜けた運動能力、豊富な魔術知識、その肉体のポテンシャルの高さ――そしてなにより自分のしでかした罪を知っていた。
 これほど素晴らしい子羊はいなかった。
 だから、ナルバレックは彼女を気に入った。
 ミディアンの、チルドレン・オブ・ナイトの汚らわしい仔――それが住処を失い、教会に仕えているのだ。
 山羊が子羊となる――素晴らしい。

 ナルバレックはレポートを一通り読み終わると、グラスにミネラル・ウォーターを注ぎ、この質素な部屋のただひとつの装飾である、壁にかけられた大きな銀の十字架にむかってグラスを掲げ、そして飲み干す。
 ナルバレック女史流の乾杯である。
 彼女はアルコールは一切飲用しない――キリストの血としての葡萄酒を除いてだが――そのようなものを必要とは判断していないからである。
(……ようやく片づいたか)
 アカシャの蛇について考察する。
 ナルバレック家は埋葬機関を束ねる者として、密かに代々、報告書や推論をまとめていた――それはナルバレック・レポートと言うが、埋葬機関のトップ――すなわち、ナルバレック女史ただ一人だけがその存在を知っていた。前に知っていた者は、ナルバレック女史の父であったが、すでに他界している。
 今日のエレイシアからのレポートは、ナルバレック・レポートに加えるべき内容であった。
 ナルバレック女史は眼鏡をかけると、レポートをまとめ始めた。

◇  ◇  ◇

 アカシャの蛇がとった行動は、どのような理由であるのかが定かではない。しかし自ら吸血鬼になるために――騙して、とブリュンスタッドは言っていた――自らの血を吸わせた、という。
 しかしそれは、祖父の書いた報告書によれば、蛇本人も知ることのない衝動に駆られたものであったと述べている。
 それは世界秩序――魔術師どもがいうところの抑止力である。
 あの忌々しい魔術師ども――時には正論を言うが、主の恩寵を無視した唾棄すべき輩――は、この世界に2つの抑止力があると述べている。
 一つは霊長である人間が、自分達の世界を存続させたいという無意識の集合体による抑止力。
 一つは、この世界そのものの本能――星そのものを生命体と見立てたガイア理論的な抑止力。
 霊長としての抑止力、それが蛇が吸血鬼たらしめたのだと祖父は推論している。
 そもそも真祖とは人間を律する者として、この世界そのものの本能から生み出された妖魔である。
 それに対してもうひとつの抑止力が働くことはなかったというのであろうか? ――否である。
 人間を律するために、人間を真似して生み出された。しかしナゼか吸血衝動をもったのはナゼか。
 それは霊長としての抑止力の介入の結果である。
 そのような存在は、人間世界の存続に関わる。だから、人間が団結し、排除しやすいように、そうなったのではないか? と4代前のナルバレックは述べている。
 そして真祖屠りの真祖、アルクェイドはある意味、その最もたるもので、真祖でありながら同族の真祖を狩る、という矛盾した生命体である――そんな矛盾を世界が生み出すであろうか――否。やはりそれは霊長としての抑止力の介入であろう。
 そして蛇は魔術を極め、さらなる高みを目指し、無限に生きることを望み、アルクェイドの前に立ち、血を吸われた。
 蛇もたぶん――霊長の抑止力によって背を押されたのであろう。その結果どうであろうか? アルクェイドは堕ちて魔王となった真祖だけでなく、まだ吸血衝動を抑えていた真祖も殺し、人間の敵、あえていえば――忌々しいことだが天敵――を駆逐した。
 これは蛇のとった行動の、純然なる結果なのである。
だからこそ、蛇は抑止力に突き動かされた、ということができるであろう。
 そもそも蛇はなぜアルクェイドに血を吸ってもらわなければならないというのであろうか。
 他の真祖、あるいは死徒でも、アカシャの蛇は吸血鬼になれたのである。すぐさま、蘇生し、屍食鬼ではなく死徒して活動できたほどの肉体的ポテンシャルをもっていた蛇は、我々主の剣たる教会とアルクェイドによって屠られるので、その力を発揮したという。
 それだけの者であれば、わざわざ千年城に赴き、血を吸われる必要などはない。
 また千年城には奇しくも他の真祖が集まっていた――これはただの偶然というのであろうか?――否。
 これは主の導き、霊長の抑止力の介入であるといえよう。
 実際、教会の神官であった蛇は、禁忌とされる魔術に手を染めていた――堕落するものに神の鉄槌があらんことを――、それほどの者の魔術を持つ者がなぜいちいち吸血されて死徒にならなければならないというのでろあろうか?
 ネロ・カオスなどの例もあるとおり、魔術師はその魔術によって、自らを吸血種になることができる。なぜこの手段を彼はとらなかったのか――。
 それらの疑問は、霊長としての抑止力、を考えれば、すべての辻褄があう。
 蛇は、ミハイル・ロア・バンダムヨォンは、そういう意味では主の思し召しによって、真祖アルクェイドに近づいたといえよう。

◇  ◇  ◇

 ここまでまとめて一息つく。
ミネラルウォーターを注ぎ、飲む。ひんやりとした感触が喉をなめらかに通り、心地よい。
 ここまでは先代までの推論の要約である。
 ナルバレック女史はここからようやく今回のレポートによって得られた事実と推論を、やや右上がりのクセのある字で書き加え始めた。

◇  ◇  ◇

 今回のケースは極めて希である。
 アルクェイドが遠野志貴なる日本人男性に対して多大な興味をもち、行動しているという。
 遠野志貴になる人物に関しては付属レポート、遠野志貴についてを参照のこと。
 エレイシアとアルクェイドとの活動をともにしたところを見ると、遠野志貴なる者は異能者であると思われる。しかしその能力に関しては定かではない。
 遠野志貴なる人物はいったい何者であるか? これに関しては引き続き注意深い観察が必要とされるものとする。
 ここで注目すべき事柄は、あの無関心で、心を持たない死徒殺戮兵器たるアルクェイド・ブリュンスタッドが死徒の浄化ではなく、この志貴たる人物に興味を持っているということにつきる。
 これは異例である。アルクェイドが興味をもつ、ということは、アルクェイドがより人間に近くなったことを意味する。他の者への関心、興味といったことは、本来、アルクェイドには関係ない。12世紀にうまれたこの吸血種の活動機関の総計は資料によると1年にも満たない。
 本来ならば赤子なみの情緒しかもたない、といっていいはずである。これに関しては死徒と真祖との混血、アルトルージュの項目参照のこと――この者との成長との比較に関しては別紙A-14を参照されたし。
 最初から成人体として生み出されたアルクェイドには、どのような衝動、感情があるのか、容易に想像できない。
 しかし人間に近くなった、ということは、人間に対しての吸血衝動への抑止力として働く。
 なぜ遠野志貴と出会ったのか?
 もし抑止力が正しいとして考えるのならば、これはアカシャの蛇による抑止力の低下が原因である、と考えられる。
 蛇の転生は、アルクェイドへの抑止であった。しかしアルクェイドが吸血衝動に駆られたとしたら、誰が止めることができよう。
 あの空想具現化という、この物理世界をひっくり返すような能力は、人間の敵、といって過言ではないであろう。
 もしアルクェイドが吸血衝動に屈したのであれば、教会とともに戦う吸血鬼、というコミックにしかでてこないようなものから、闇の魔王に変身することは容易に想像できる。
 もしそうなったのであれば、蛇の転生無限では、抑止力としての効力を発揮しなくなる。しかし、それがもしこの志貴なる人物によって抑止されるのならば――それはやはり霊長としての抑止力が働いたということであろう。

 人間でいうところの、恋愛感情をこのアルクェイドは志貴なる人物に抱いているわしい。
 吸血鬼の恋愛などとは、あくまでお互いの血肉を喰らい合う悪鬼の所行であるが、今回に関しては、まるでアダムとイブの子孫のようなものであると観測されている。
 もし、この吸血鬼にはあるはずのない恋愛――たぶん思いこみであろう――によって、アルクェイドの吸血衝動が抑止されるのであれば――それはやはり霊長としての抑止力の介入といえるであろう。

 いうなれば、この星の本能を、その上にすむ無象有象の無意識が押さえ込んだ結果ということになる。
 そして遠野志貴なる抑止力のもとアルクェイドはいかなる行動をとるのか――興味深いところである。
 また抑止力として正式に働くのか――それを常時観察し、場合によってはアルクェイド殲滅を行わなくてはならないであろう。

◇  ◇  ◇

 ナルバレックはため息をつくと、眼鏡を外し、目を軽く指で押さえる。
 これ以上書くことは推論の域を超えて妄想になる。
ナルバレック女史は、書くのをやめ、レポートを封印場所にしまった。
(――しかし真祖と戦うとなると)
ナルバレック女史が記憶に留めている、とある真祖殲滅作戦を思い出した。
 場所はロシアで、わざわざチェルノブイリ原発を事故として破壊し、あたり一帯を放射能で汚染して、真祖と自然との接続を切断した。それゆえに埋葬機関は真祖を浄化することができたのである。
 あのときには、何万もの民が避難し被爆した――しかし関係ない。
(もしそうならば、今回は極東地区で原発事故でも起こすことになるのか――)
その様子を思い描いて、ナルバレック女史は笑う。
(霊長としての人類の戦い、は常に勝利しかない……)
 勝利しなければ堕ちて魔王となった真祖に人間が駆逐されるのみ。人類の滅亡である。だからこそ、手段は選べないし、選ばない。
 人類には勝利しかないからである。
 先代は、自ら下した事故偽装の原子炉破壊に対し苦渋の表情を浮かべたが、当代のナルバレック女史は薄く笑った――それは、悪魔のような禍々しくも人を魅了してやまない蠱惑的な笑みで、それはとても嬉しそうに笑うのであった。




あとがき
 これをSSではない、と思う人がいるかもしれません。
 もしそうならゴメンなさい。
 真祖アルクェイドについての考察、ロアと志貴の関係を「利己的な遺伝子」論的に考えていった推論を、ナルバレックがレポートでまとめるという形式にして発表したものなんです。
 せっかく空の境界で抑止力についてあんだけ書かれると、自然界の抑止力がこの「月姫」ではぞのように関わったのかを推測してみたくなったんですよ。
 だから根源にふれた志貴は、霊長の抑止力の介入の結果、死が見える魔眼をもち、アルクェイドを生む言わさず17分割し、アルクェイドの性格を霊長にとって有利に変化させた、とゆーわけです、はい。
 すんごくさめた見方で、瑞香としても、むむむむ、と思ったのですが、やはり、こーゆーのもあっていいかな? と思って発表しました。

 ちなみに本作品がSS形式なのは、ここがSSのサイトだから――あぁなんて単純。
せっかくSSサイトなのに、最初に掲載されたものがSSじゃないとダメじゃん、とSS仕立てにしました。
 当代のナルバレック女史に関しての設定は、代々ナルバレックの家が埋葬機関を束ねる、当代は女性で殺人狂、そして他の埋葬機関の者から殺そうと思われているほど嫌われている、だけです。
 んなもんではどーしよーもありませんです。
 だから言い回しを極力おさえ、目的のためならば手段を選ばない権力をもった殺人狂かつ嫌みったらしい、だけでやってみました。
 うまくいったでしょーか?

 あとこんな性格でいいのならば、18禁のSSが書けますです。
なぜなら、このSS最初は18禁だったからです(笑)
 この大量殺戮の想像でゾクゾクする変態さんとして、ナルバレック女史を描いていたからです。
 もし、そんな変態さんの話でもいい、とリクエストしてくれるのであれば、書きます(をひ)

 それではまた別のSSでお会いしましょう。
16th. March. 2002
#004


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