誕生日を君に



 部屋から出て、階段を下りてロビーへと向かう。
 支度をすませた後、朝食前に軽く紅茶を嗜むのが習慣だった。
 もちろん終わった後も。
 そうすることで、気持ちが豊かに、そしてやさしくなれる気がするから。
 兄さんがようやく戻ってきたというのに、わたしはつい肩肘をはってしまっている。

(意地っ張りだから)

 そう――わたしは意地っ張り。
 兄さんの前では素直になりたいというのに、どうしてでしょうね。
 だから紅茶の香りと味を愉しむことによって、今日そして明日ぐらいは兄さんとゆっくりと過ごしたいと考えていた。
 明日はわたしの誕生日。9月22日。
 ちょうど日曜日で兄さんとゆっくりと談笑したいと思っていた。
 買い物もいいかもしれない。
 兄さんと一緒に。
 兄さんとショッピングということは、端から見ればデートなのかもしれない。
 そう。
 わたしは決心していた。
 わたしは兄さんとデートする、と――。
 兄さんとわたしは同じ屋根の下、同じ家に住んでいる。

(四六時中顔を合わせていると息が詰まっちゃうよ)

なんて恋人――もしくは婚約者かしら?――のことを、そう語った同級生を思い出す。
 たぶん、わたしもそうなるだろう。
 でもそれは、そう――8年以上あと。
 8年逢えなかったのだから、8年ぐらいでちょうどいい。
 それでようやく2日に1度程度なのだから。

 (――ううん)

 かぶりをふる。
 たぶん毎日でも兄さんと一緒ならば、息が詰まる事なんてないでしょうね。
 もしかしたら、わたしはおかしいのかもしれない。
 わたしの、秋葉という殻。
 それには浅上での優等生、副生徒会長、麗しのお姉さま、完璧の遠野そして遠野家当主という肩書きで鋭く尖っている。
 なのに、その中身ときたら。
 兄さんのことばかり。
 今日兄さんがああいった、こういった、こんな仕草をした。
 こんなことばかり。
 アイドルに夢中になって追いかける人の気持ちもこんなのかもしれない。
 たしかに――そう思えば時々ニュースとなって世間を騒がせる追っかけやストーカーなども心理もなんとなしにわかってしまう。
 そのくらい、わたしの固い殻の内側はどろどろでぐにゃぐにゃ。
 兄さんがいないと何もできない、幼いままのわたしがいる。
 兄さんを求めて泣く、わたしがいる。
 うん。
 やはり兄さんをわたしから誘わなくちゃいけない。
 思わず兄さんの顔を思い出して、くすりと笑う。
 黒縁の眼鏡の奥で目をぱちぱちさせて、困った顔をする兄さん。
 でも兄さんが悪いんですからね――。
 女から誘わなくてはならないなんて――。

(本当に愛しい朴念仁だこと)

 居間の前までくると、軽く息を吸う。
 身だしなみを整え、もしかしたら兄さんがいるかもしれない、と思って扉を開けた。
















ぱぁん

















 硬直した。
 少し火薬の臭い。そして鼻先に舞い散る色とりどりの紙テープ。
 そこには、兄さんと翡翠と琥珀がいた。
 手には今弾けたクラッカー。
 机にはケーキ。

(……なに……これ……)

 すると兄さんがしゃべりはじめる。

「秋葉、誕生日おめでとう」

 …………。
 …………。
 …………。
 …………ええっと……。

 混乱した。今日は9月の21日で、わたしの誕生日は22日のはず。
 でもにこにこと微笑みかける兄さんに悪くてそんなことは言えない。
 ちらりと翡翠を見る。
 完璧な鉄面皮。ただ、チラリチラリと、その翡翠色の瞳を小刻みに動かして何か言いたそうにしている。
 その先には――やっぱり。
 琥珀がにこやかに、あはーと笑っていた。

「まぁ座って」

 兄さんがわたしを案内してくれる。
 わたしを案内してくれるなんて……じゃなくて。
 わたしは勧められたいつもの椅子に腰掛ける。
 兄さんは本当に嬉しそうに笑っている。

「あ……あのぅ……兄さん……」
「どうしたんだい、秋葉?」
「どのようにして、わたしの誕生日を……」
「あぁ」

兄さんはにっこりと笑う。

「琥珀さんに『秋葉の誕生日は9月の21日だったよね?』って……」

 きっと琥珀を睨む。
 あはーと笑っても許しません。
 だいたいそのエプロンに達筆で書かれている『無罪』という2文字はなんのつもりなのよ。
 でも兄さんはわたしのグラスをわたしてくれる。
 そしてお酒を注いでくれた。

「兄さん!」

わたしは声をとんがらす。

「遠野家の長男たる兄さんが……そんなホストみたいな真似を!」
「いいって」

 そういってにっこり。

「秋葉の誕生日だろ」

 なんていえばいいのか。
 祝ってらっているはずなのに。
 なぜか。
 追い詰められていた。
 わたしの誕生日をこんなに嬉しそうに祝ってくれている兄さんに向かって、
『わたしの誕生日は明日なんです』
なんて、とても言えない。
 ケーキをちらりとみる。
 生クリームでデコレーションされたケーキには沢山の蝋燭。
 それには火が暖かく灯っていた。
 思えば、父槙久はこういったことが嫌いだった。
 家で祝ってもらってことなどはない。
 浅上でも、わたしを慕ってくれる後輩や同級生が祝ってくれたけど。
 懐かれて、つきまとわれるのには辟易していた。
 蒼香はあっさりとした方だし、羽居はただべたべたと触ってきてうっとおしいことこの上ない。
 だから。
 こうして祝って貰うというのは、もしかしたら初めてのことなのかもしれない。

「さぁ蝋燭を吹き消して」

 そういうと照明がおとされ、カーテンが閉ざされて、居間は暗くなる。
 明るい蝋燭の灯り。
 そこには兄さんの笑顔。
 兄さんはその低いしっとりとした声で唄を口ずさむ。
 誰もが聞いたことのある、あの誕生日の歌。
 英語の歌詞で呟く兄さん。
 兄さんが……兄さんが……兄さんが……。
 なぜか罪悪感に責め立てられる。
 兄さんの笑顔を汚しているようで。

「……駄目です」

 わたしはそう言っていた。
 罵迦だと思う。
 でも心に嘘はつけなかった。
 わたしの初めての祝い事を、兄さんが祝ってくれる初めての祝い事を嘘から始めたくはなかった。
 明日きちんとしきり直せばいい。せっかくのサプライズパーティを用意しくれたのに、ゴメンなさい……兄さん。

「どうしたんだ、秋葉?」
「わたしの誕生日は……」

 言葉が喉にからむ。
 せっかく祝ってくれた兄さんに対して……罪悪感がこみ上げてくる。
 ようやく声を絞り出した。

「わたしの誕生日は……22日なんです」
「うん、知ってるよ」
















 ……。
 ……。
 ……。
 ……へ? 今なんて言いました、兄さん?

 呆気にとられているわたしに向かって兄さんは微笑む。

「だから、今さっき説明しただろ。
琥珀さんに『秋葉の誕生日は9月の21日だったよね?』って聞いたら、『いいえ22日ですよ』って。で色々聞いたらさ、親父のヤツこういうのしたことがないんだって? だからさ」

 柔らかいまなざしに心臓が高鳴る。

「今日は会っていなくて祝えなかった9歳から去年までの誕生日だよ」
「……」

 声が出なかった。
 鼻の奥がツーンとする。
 兄さんの顔が歪む。
 どんどん歪む。
 目になにかが集まっている感じ。
 だめ、声が出てしまう。漏れてしまう。

「こういうのをきちんとしてあげられなかったからな、俺は。
 だからこの誕生日が誕生日祝いだよ。
「明日はきちんと今年の誕生日を祝うん……」

 兄さんの声が止まる。
 翡翠がそっとハンカチをかしてくれる。
 わたしはそれで顔を覆う。
 誰かが抱きしめてくれた。
 この感触は兄さんの……。

「……秋葉……」

 兄さんの声を聞くだけで泣いてしまう。
 わたしは低い嗚咽を漏らしてしまう。
 みっともない姿。
 完璧な遠野。
 麗しのお姉さま。
 そんなのはどうでもいい。
 そんな固い殻の中は、こんな泣き虫の秋葉がいるだけ。

「……うれしい……です……」

 すると翡翠が低く、また誕生日の歌を歌ってくれる。
 それに拍子をつけるように、琥珀が手を叩く。
 にこにこと笑ってくれる。
 わたしのために。
 兄さんが抱きしめてくれる。

「……まったく……泣き虫な秋葉を思い出したよ」
「……いいんです……」

 わたしは泣き笑いながら、みんなに微笑む。
 なんてみっともない顔なんだろう。
 でも――わたしの一番ほこらしい顔だと思う。

「……今日は……9歳からの誕生日……ですから……」
「そうだな……うん……そうだな、秋葉……」

 そうやってぽんぽんと叩いてくれる。
 その叩き方のぞんざいさに笑ってしまう。
 なんでこんなことを笑ってしまうのだろう。
 わたしは楽しくて、おかしくてたまらなかった。
 なんて不器用。
 なんて愚鈍。
 でも、こんなときになぜか鋭くて……
 でも、こんなときに本当に欲しいものを、欲しい言葉をくれる……。
 こんなにも愛しい朴念仁。

 わたしは蝋燭を吹き消した。
 9歳のころのわたし。10歳の時のわたし。11歳の時のわたし。12歳のときの……。
 躾におわれていたわたし。
 勉学におわれていたわたし。
 笑うことのないわたし。
 冷ややかなわたし。
 苦しいわたし。
 そんなわたしも。
 一緒に消えていく。
 一緒に白い一条の煙となって。
 吹き消えていく。
 次々に吹き消していって、最後の一本を吹き消す。
 すべて消えてしまった。
 残ったのは……。

 ぱっと照明がつく。
 琥珀が腕を振るった料理が運ばれ、パーティが開かれる。
 もしかしたら。
 ううん。これが初めての身内だけの誕生パーティ。
 そうすることにした。
 わたしが生まれた日を、生まれてきたことを祝ってくれる日。
 そしてみんなが手に手にグラスをもって、ただ一言。

「「「ハッピバースディ・秋葉!」」」

 ……ありがとう、翡翠……。
 ……ありがとう、琥珀……。
 ……そして……ありがとう、兄さん……。

 わたしの過去がひとつ、きちんと過去になって、埋まってくれた気がした。
 誕生日おめでとう……わたしに残った殻の中の泣き虫なわたし。


あとがき

 ゴメンなさい。
 時間がなくてギブアップです。
 新しいパソコンがこなければ。
 もっと時間があれば。
 あああああ、ゴメンなさい。
 でもでも、この作品は今日9/21にアップすることに意味があるので。
 内容が少し薄いんですけど。
 公開します。
 あと1日あれば……とため息をつくわたし。
 でも、こういう話って好きなんですよ。
 この女の敵、志貴くんとかだいすき(笑)
 こういうのをいわれたらたまらないものをたっくさん集めてSSにできれば、いいな。
 そう思っています。

 ではまた別のSSでお会いしましょうね。

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21st. September. 2002 #65