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型月板無名SSスレ
第四回品評会参加作品
主題 『イリヤスフィール』

特別ではない、特別な日



 秘伝の作を一口食べたとき、イリヤは、あっ、と感嘆の言葉を漏らした。
 それを見て俺は頷いていた。イリヤが口にしたブッシュ・ド・ノエルには、そのくらい自信があった。なぜならそれは衛宮家の秘伝の逸品なのだ。自画自賛だけど、まだ桜にもこれなら勝てるな、とも内心そう思っている。
 そんな秘伝の作を味見したいとイリヤが言いだしたのは、晴れ渡った午後。冬特有の空っ風が吹いて、天が青く、どこまでも高く、雲一つなく澄み渡った日。12月24日。クリスマス・イブのこと。
 桜も何かケーキを作ってくると言っていたし、たぶん遠坂も、ふふんみてなさい、みたいな不敵な笑みを浮かべたからたぶん作ってくるのだろう。一人1ホールが割り当てのケーキバイキングはどうかと思ったけど、まぁ藤ねぇがいるし、イザとなれば藤村組にお裾分けすればいい。
 だから負けないようにとケーキを作っていたら、イリヤが味見したいと言いだしたのだ。
 その時までイリヤはケーキ作りを楽しそうに眺めていた。もちろん邪魔をしないように礼儀正しく、でも好奇心は猫のように興味深く、注意深く目を輝かせて見ていた。
 見ているだけだと退屈だろう? と声をかけたら、ううん、と首をふって答えた。
「シロウが作っているの、見ているだけで楽しいよ」
 そういって、イリヤは俺のエプロン姿を上から下まで値踏みするように見ると、楽しそうに満足そうに笑った。
 雪色の髪と朱い瞳の女の子。彼女に見つめられるのはいつものことなのに、なぜかドキドキしていた。こうじぃっと見つめられると、照れてしまうというか緊張してしまうというのか、とにかく落ち着かなかった。けれどもイリヤにやめろなんて言うつもりはなかった。本当に嬉しそうに、楽しそうにケーキ作りを見ていたのだ。
 そうしていたら、味見したい、と言いだしたのだ。

 ケーキはクリスマスの花形だから後で、と言おうと思ったけれども、やめた。
 たしかに後のお楽しみというのもある。けれどイリヤの口に合うのかどうかわからない。藤ねぇは毎年のことだから除外しておくとして、遠坂も桜も日本人だ。だからこういう味というのはある。けれどイリヤは日本人じゃない。もしかしたら俺の知っているレシピは、実は日本人向けに味が合わせてあって、彼女の口に合わないかもしれない。
 それに彼女の期待に満ちた顔をみると、何も云えなかった。この程度の我が儘ぐらいいいでしょう? 暗に言われているようで。
 まぁ彼女のそういう我が儘には慣れていたし。
 だから味見してもらうことにした。

 よく考えれば、こうしてイリヤが横にいるというのは不思議といえば不思議だった。
 敵と味方としてわかれ、闘った相手。親父と俺を殺しに来たのだと宣言した女の子。恐ろしい魔術師の顔と年相応な可愛らしい女の子の顔をもつ少女。
 あの戦いから、まだ1年も過ぎていない。それは、まだ、なのだろうか、それとも、もう、なのだろうか? 俺には考えもつかない。
 1ヶ月にも満たない戦い。死と隣り合わせの聖杯戦争。金髪で小柄で真っ直ぐな少女、偉大なる騎士王とともに駆け抜けた日々。
 もう懐かしいと感じてしまうのは、俺が立ち止まっていないということなのだろうか? それとも振り返ってそればかり見つめてしまっているのだろうか? それさえもわからない。残るのはただの記憶。でもそれだけでいいのかもしれない。ただわかっているのは、こうして今も元気にやっているということだけ。

 イリヤが藤ねぇのところに居候して、遠坂が時々やってきて魔術の基礎を手ほどきしてくれて、桜が食事を作ってくれる。俺はやっぱりセイギノミカタを目指していて、日々悪戦苦闘している最中。
 学校はすでに受験体制で、目の前の戦争にむかって突き進んでいる雰囲気だけど、それでも一成や美綴とかとなんとか元気にやっている。
 そんな変わらない、いつもの日々。特別なことなんてない、穏やかで平凡な日々が続いていた。

 そうしてまた巡ってきたクリスマス。簡単にいえばただの12月24日。その日を迎えたからといって人生が何か変わる訳でもない。去年も迎えたし、また来年も迎えるだろう、そんな特別でない、ただの一日。
 いつもと変わらない日。平凡な日。特別でない日。なのに、浮かれていた。イベント特有のやや浮ついて、騒がしくて、でも楽しみに満ちているざわついた雰囲気に満ちていて、俺自身もやっぱり雰囲気にひかれたまま浮かれていた。

 だからだろう、俺が秘伝のブッシュ・ド・ノエルを作ったのは。
 これは衛宮家の秘伝中の秘伝なのだ。ちなみに秘伝として作ったのは俺。桜にも伝授していない。
 あのジャンクフードが大好きな親父がケーキ、なぜかブッシュ・ド・ノエルにだけはいやに拘りをみせたのだ。
 ココア・クリームではなくチョコ・ガナッシュがいいだの、スポンジの固さはああだのと、コクが足りないだの、あの放任主義の親父に口うるさく言われたのはたぶんそれが初めてだったと思う。
 だからこそ、逆に俺は燃えた。よし親父がそこまで言うのならそういうのを作ってやるぞ、と決心した。様々なレシピを見るために図書館に本を借りに行ったり、ケーキ屋の試食を食べさせて貰ったりと、色々と研究した。

 親父が満足そうに頷いたのは、4つ目のブッシュ・ド・ノエルの時。
 ココアではなくチョコ・ガナッシュでクリームを作る。それにマロンを裏ごしして加え隠し味。ブランデーも少々薫りづけ。スポンジ生地にはシナモン。そして焦げやすいけれども黒蜜を練り込んである。
 それだけではない。秘伝の逸品には彩りを添えてあるのだ。
 苺やミカンなどのシロップ詰めされた缶詰をあしらったのだ。蜜は切って、ケーキが崩れないように。そうすると茶色と白の切り株に華やかな赤や黄色の彩りがあって、見栄えもいいし、またフルーツケーキのようなおいしさもある――これが俺の作れるブッシュ・ド・ノエルの最高傑作だった。

 それを口にした時の親父の顔は今でも忘れられない。あのほんわかとしているように見えて厳しく、でもやっぱり適当に生きているような、そんな風来坊のような親父が微笑んだのだ。
 何か思い出すように、楽しそうに、嬉しそうに、目を細めて。
 今思い返せば、親父はよく微笑んだけれども、それはどちらかというと自嘲するような、そんな虚ろな笑みが多かったと思う。なにか厭世的な笑み。藤ねぇと俺の会話をただ眺めているような、少し離れたところから眺めているような、そんな距離がある微笑。そんな親父を、正義の味方に少しでも触れたくて、近づきたくて、頑張った気がする。

 そのときから、このブッシュ・ド・ノエルは秘伝となった。親父とかそういう人にだけおいしいと食べて貰いたいと思ったからだ。そして今年のクスマスは桜も遠坂、藤ねぇ、そしてイリヤに家族として食べて欲しいと思い、この秘伝の逸品を披露することにしたのだ。
 その秘伝を口にしたイリヤの反応に、俺はいたく満足していた。そのくらい自信があるのだから。

 イリヤは秘伝の逸品をまじまじと見つめていた。小さく切り分けられたチョコとスポンジがのった白いお皿をじいっと、不思議そうに、目を細めて。またフォークをとって、さらに試食用のそれを切り分ける。一口大よりもさらに小さくして、きちんとチョコクリームをのせて、音をたてることもなく口に運ぶ。藤ねぇに見習って欲しい、貴婦人の食べ方。
 イリヤは目を閉じ、小さい口がもぐもぐ動き、すべてを味わうかのように咀嚼し、吟味する。
「――シロウ、これ……」
「どうかな、俺の秘伝の逸品だけど」
「……これ……どうしたのよ?」
 イリヤはその朱い瞳でケーキをじっと凝視している。驚いていた。
「どうしたって?」
 わからなかった。どうしたって、なにが?
 ――もしかして口に合わないとか。それなら美味しくない、だろうし。なにを聞かれているのか、俺には判らなかった。
「これ――ムッターの味よ」
 ようやくケーキから視線をズラして、こちらを見た。
 生意気な揶揄するような輝きにみちることが多い朱色の瞳が、今日は素直にまっすぐ俺を見つめていた。血よりもなお赤く、さらに濃く煌めく、朱い瞳に心まで見透かされるような気がして、意味もなくドキリとした。
「ムッターって……」
「母様のよ、この味」
「イリヤの?」
 そう聞くとこくりと頷いた。
「一度だけムッターが作ってくれたくれたの。リズもセラもこの味はだせないわ」
 そしてまた一口。
「うん、やっぱりこれは母様の味よ。どうして知っているのよシロウが」
「どうしてって、これ親父が……」
「キリツグが?」
 頷く。
 イリヤの視線はまたケーキに移り、じぃっと見つめた。
 その視線はとても柔らかく、とてもやさしく、とても楽しそうに。何か思い出すように、穏やかなものだった。
「…………そう、キリツグが……」

 しばしの沈黙。
 でもそれは痛いものではなく、やさしく包み込むような静けさ。
 俺もケーキを一口。
 軽い口あたりの生クリームとチョコの味。それに隠れてマロンの甘みが口に広がる。けどほろ苦く、カカオの風味とブランデーの薫りが鼻腔をくすぐっていく。生クリームは軽く、甘みだけ残して消えてしまう。スポンジがじんわりと溶けていくけど、黒蜜のざらついたものが舌に少し残って自己主張している。けどそれもつかの間のこと。すぐに舌の上から消えてしまう。
 甘く、けど苦く、少しだけ官能めいたくどくない甘み。柔らかい癖にしっとりとした甘みが口の中でたなびいて消える、そんな味。
 それは親父が拘った味。それはイリヤの――
 またケーキを静かに切り分け、生クリームをたっぷりとのせ、スポンジを口に運ぶ。この味をふたりでしばしの間、堪能した。

 イリヤは食べ終わると、静かにこちらを見た。
 年下の女の子。たぶん親父の娘。俺の年上めいた義妹。その雪色の髪をたなびかせて、その兎のような朱い瞳で俺を見つめてくる。
 そこに浮かぶのは――。
「ねぇシロウ。クリスマスプレゼントなんだけど、欲しいのがあるんだけど言っていいかな?」
 上目遣いに見つめられて、ドキリとする。クマのぬいぐるみを買ってあるけど、違うものが言われたらちょっと苦しい。桜に遠坂に藤ねぇ、そしてイリヤ。4人分のプレゼントとなると出費もかなりのものになる。
 けれどもそのくらい叶えたかった。

 よく考えればイリヤは魔術師として暮らしてきたのだ。魔術師としてだけ。
 それはどんな日々だったのだろうか? こんなに小さいのに、ただ聖杯戦争に勝ち抜くためだけに訓練されてきた。孤独な日だったのか、それともにぎやかだったのかは、知らない。けれどそれは大変だったのだろうと思う。あの凄まじいほど圧倒的なバーサーカーのマスターだったのだ。俺みたいな三流の魔術師なんかではなく、遠坂にも負けないほどの一流の魔術師としての訓練と教育を受けてきたのだ。

 でもそんな顔なんてみせない。そんなこと、当たり前よ、とさらりと言ってしまうだろう。イリヤという女の子はそういう女の子なのだから。
 イリヤは我が儘だった。けれどもそれは度をわきまえた我が儘。じゃれつくために、甘えるために我が儘をいう。そうでもしないと甘えることができないではないか、と時々思うことがある。
 この子は年頃の女の子としての甘え方を知らないだけ。本当はきちんと道理や礼儀をわきまえた可愛らしい女の子なのだ。
 それが俺の義妹なのだ。

 だから、ちょっとした我が儘なら叶えてやりたかった。そのくらい叶えてやりたかった。そのくらいできなくて兄貴としてどうするんだ、とさえ思った。
 今日は特別でない日。ただの12月24日。去年と変わらず、また来年も変わらないだろう。でも特別な日。
 特別ではない、特別な日。それがクリスマスという日なのだから。

 俺は頷いていた。
 それをみて イリヤの顔は綻ぶ。
 そこに浮かぶのは――。
 いつものやったーと叫ぶ、活発で明るい笑みでもなく。
 ふと浮かべる、皮肉っぽい小悪魔めいた笑みでもなく。
 まるで年上の女性がみせるような、少しだけ色っぽく、少しだけ大人びた笑み。
 それは――。
「このケーキの作り方を教えてくれないかしら」
「ああ――いいよ」
 頷く。
 イリヤのその笑みに。
 親父と同じその笑みに。
 そして見たこともないだろうけど、たぶん同じであろう、イリヤの母親のその笑みに。
 また頷いていた。

 それは親父が初めて秘伝の逸品を食べた時に浮かべたものと同じ。
 そんな笑み。

 それは、特別ではない、けれど特別な日のちょっとしたやりとり。