『夜ニ彼ノ人ヲ想ウ』



作:しにを




 夜のベッドの中。
 微かな部屋の明かり。
 暗がりの中の僅かな光。


 思い浮かべる。
 光を。
 わたしのさして長くも無い人生で、優しく瞬いていたものを。
 わたしの兄さんを。


 そう、幹也の事を考える。
 脳裏に鮮やかにその姿を描く。
 子供の頃の。
 少し昔の。
 最近の。
 溢れんばかりの幹也、幹也、幹也……




 まだ世界を自分だけで満たしていた頃。
 外で1人でいたわたしを迎えてくれた幹也。
 夕暮れ時。
 お兄ちゃんの手。
 色濃く記憶している。
 あの横顔も。
 そして手の感触も。
 黙っているだけの私に掛けてくれた優しい声も。


 その姿が時に今の兄さんの姿に変わる事もある。
 ありえざる光景。
 今の私より子供な兄さんに手を取られる、幼いわたし。
 ずっと背の高くなった幹也に同じく手を引かれて歩く、小さいままのわたし。
 それは願望かもしれない。
 それとも、今なおわたしはそんな関係にあると思っているからかもしれない。
 遠き日の憧憬。




 自分と血が繋がりがある存在。
 家族として同じ家で暮らしているだけという存在。
 その兄と言う立場から、わたしの中でいつの間にか位置を転じた頃の幹也。
 自分でも戸惑うほどの熱をもって、
 ぼんやりと視線で追って、
 どきどきと言葉を交わして、
 そんなゆっくりとした自覚をもって異性として接し始めた頃のわたし。
 今でも、時にその感覚が甦る事がある。
 感覚の再現。
 どうしていいかわからないほどの幹也への想い。
 当時はそんな事はなかったのに涙ぐんだりもする。
 自分でも驚くほど感情がぐらぐらと揺さぶられて。
 それに浸るのも、決して悪くは無い。
 甘美な痛み。




 兄と妹の関係をリセットしたくて。
 遠く離れていたあの頃。
 写真と思い出の中の姿だけを繰り返して脳裏で浮かべていたあの頃。
 今、何をしているのだろう。
 少しは、わたしのことを思い出しているだろうか。
 寂しいと思ってくれているだろうか。


 矛盾。
 幹也の中からわたしの存在が、妹たる存在が希薄となる事を願っていたのに。
 それでもなお、完全に消え去るのを忌避する気持ち。
 でも、それはわたしの中で齟齬を生じなかった。
 不思議と両立する事だった。


 あの頃の会う事もままならぬが故に募った幹也への想い。
 忘れない。
 忘れられない。


 あれがあるから、今もなお幹也に会える事が凄く嬉しい。
 それだけで笑みがこぼれるほど嬉しい。
 毎日のように会えるのが当り前になっている今でも、時々考える。
 これは決して確たるものでは無いと。
 わたしが、あるいは幹也がそう望みさえすれば、
 そうすれば顔を見ることも言葉を交わすことも出来ないのだと。
 その虚さに震え、そしてだからこそと思い直す。
 幹也に会える事の大切さを強く思う。
 今となってはもう決断できないかもしれない。また幹也との関係を打ち消し
て新たなものとする為に、遠く離れる事など。


 あの頃の無鉄砲な決意。
 一途なる想い。
 会えぬ幹也の姿。
 それらが甦り、心の中で結実する。
 締め付けられるような――――切なさ。




 再会した時の幹也。
 想像したよりもずっと素敵で。
 でもあの頃の寂しいまでの優しさはそのままで。


 わたしを認めた時の瞳。
 嬉しそうな表情。
 期待したような初めて見た女性に向ける目とは遠かったけれど。
 少しの驚きを認めて私は歓喜を覚えた。
 鮮花?
 少し疑問の入った呟きにわくわくさせられた。
 ああ、鮮花だ。
 すぐに納得したような顔に、軽い失望と、相反する安堵を感じた。
 矛盾。
 でも仕方ない。
 幹也に関してだけは、わたしの理性は少し崩れたままだ。
 子供の時から、その時も、そして今に至るまで。


 ともかく、これからわたしの望みを叶えるのだ。
 そう改めて思った。
 あの舞い上がるような、身震いするような、高揚感。


 そして、誰に対しても同じ好意を向ける幹也に、唯一の例外が現れた事に対
する慟哭の想い。
 でも、それでも幹也と街で、橙子師の処で、他のいろんな場所で会い言葉を
交わすのは喜びだ。
 それら全てをわたしは記憶している。
 日々、どれだけ新たなものを足していっても。
 幹也の表情。
 ちょっと笑みを浮かべた顔。
 怒った顔。
 困った顔。
 優しい目をした顔。
 わたしの耳を奪い、怒らせ、悲しませ、いらいらさせ、喜ばせる言葉。
 その動き。
 手に触れた指の感触。
 寒いだろうと上着を肩に掛けてくれた時の事。
 バスで隣りに座った時に触れた腕。
 徹夜続きで映画の途中で眠ってしまって、でもわたしの肩に頭を当てるよう
にしていて、ずっと幹也の枕代わりになって身じろぎも出来なかった至福の時。
 どれだけあるだろう。
 あまりにも些細で、それでも宝物である記憶は。










 嗚呼。
 次々と浮かぶ幹也との想い出の数々。
 なんだかこれだけで幸せな気分になれた。
 でも。
 でも、結局どうしよう。
 せっかく今日は誰はばかる事無く……、なのに。


 可愛い子供の頃のお兄ちゃんな幹也も良いのだけど……
 夏に海に行った時の事にしようかな。
 水着姿の幹也。
 意外と引き締まった体で、ずっと眼で追って記憶は色濃く残っている。
 でも、反則じみた露出過多の水着だった橙子師に目を奪われていたり。  色気なんてほとんど感じさせない式にばかりあれこれまとわりついていたり。
 そんな事も思い出してしまうから。
 わたしの水着姿も可愛いねと言ってくれたけど。
 あの時、どれだけ悔しくて、帰ってから……。
 うん。
 いっその事、その路線も悪くないわね。


 幹也と式の事を克明に思い浮かべて。
 二人が唇を合わせ、体を……
 わたしには向けない顔をする、幹也。
 別人のように可愛く所在なげな顔をする、式。
 首筋に幹也が軽く唇を這わせて。
 仰け反る喉にも口づけして。
 式の耳に何事か囁いて。
 式は真っ赤になって、でも小さく頷いて。
 そして二人は……


 やだ。
 嫌よ、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌……
 ダメ。
 そんな事しないで。
 幹也……


 あ、あああ。
 少し想像しただけで胸が張り裂けそうになる。
 でも……
 わたし、興奮している。
 わたし以外の女と幹也が……
 そう思うと、自然とこう…あんんッ。
 ……


 うん、今夜はこれにしよう。
 ぞくぞくするような負の愉悦。
 昏い快楽。
 たまにはこんなのも悪くない。
 後で死にたくなるほどの自己嫌悪に陥るかもしれないけど。
 それ故にむしろ。
 ふふ。
 そうよ、この妄想に浸って。
 指を動かそう。
 こうやって。


 おやすみなさい、幹也。
 あッ……、ふぁ、あ。
 もう、こんなに。
 ふふ。
 楽しませてくださいね……、幹也。 




≪おわり≫














――――あとがき


 ……ごめんなさい。
 何だか頭に浮かんで、なおかつすぐに書かないと脳内で没にしそうだった
ので、勢いで書き切りました。
 書き終わった今も捨てるかどうするか五分五分なのです。
 もしもこれをお読みになっているなら、貧乏性が勝ったのでしょう。


 ええと、鮮花が一人遊びするなら対象は幹也だろうという考察からの一品
になります。逆に幹也だけは使うまいという考えもあるのですけど……
 しかし、これじゃ秋葉だなあ(笑


 とりあえずもう一本、比較的シリアスな鮮花SSなども書いています。
 もし出来ましたら、今回の汚名返上にしたいと思います。


 お楽しみいただければ、幸いです。


by しにを(2003/5/2)

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