人間の証明



真   



 悪い夢を見た。


 赤と黒に彩られた夢を、悲鳴と血飛沫に彩られた夢を見た。


――――――――!」
 悲鳴を上げて身体を起こし、そこでようやく我に返った。質素な衣服、入院患者が着るような貫頭衣が素肌に張り付いて不快な感触を伝えてくる。
「は……
 額の汗を拭い、彼はそっと笑みを浮かべた。
 そうだ、あれはもう夢だ。
 あれは、あの化け物はもういない。詳しい事情は知らないが、あれはもう、ただのオンナに過ぎない。
 殴れば赦しを乞い、力づくでモノにすれば奴隷になる生き物に過ぎないのだ。
「は、は――――
 ああ、まったく何てことだ。俺はそんなものに脅えていたのか。
 そっと顔をしかめる。なんだ、この違和感は。
 何かが違う気がする。どこかが、いつもとは違う気がする。
 どうにも頭が働かない。こんな時には酒の一杯でも……と思ったところであることに気づき、盛大に舌打ちした。
 そうか、ここは俺の家じゃなかったか。
 彼をここに連れてきたのは、高校時代の先輩に当たる人物だった。といっても部活が一緒だったわけでも、委員会が同じわけでもない。単に顔見知りの、話が分かるから懐いていたというだけの人物だった。
 おかしなことに彼の言葉には奇妙な説得力があり、強持てで知られる不良たちからも一目置かれていたことを覚えている。
 同じ内容、同じ言葉でも、彼の口から出ればそれは途端に“真実”という名を伴った確固たる存在となるのだ。その先輩がもう大丈夫と言ったのならば、それはもう絶対に自分は安全なのだろう。
……くそ」
 こうなると、酒のないのが無性に腹立たしい。
 いや、この部屋になくても別の部屋にはあるかも知れない。先輩の雇い主という女性はここで寝泊りしているそうだから、きっと酒瓶の一本もあるだろう。
 眼鏡をかけた理知的な女性の風貌が思い出される。
 優しげに、もう大丈夫と笑いかけてくれた。
 耳に心地よい声と、煙草の香りの入り混じった彼女の体臭。その胸に顔を埋めて深呼吸したら、きっとどんなにか安心できるだろう。
 ぞわり、と背筋が震えた。
 格別に大きいというわけでもないが、服の上からでもその形のよさが推察できそうな胸部。肌に張り付いた黒いズボンはその下に隠された太股の脂がのった感触を想像させる。
 ごくり、と喉がなった。


 ――――そういえば、最後にオンナを抱いたのは何時だったろう。


 一ヶ月前か、二ヶ月前か。
 いや、違う。半年前から――――俺は――――俺たちは――――“彼女”を――――
 不吉な映像が浮かび、慌てて頭を振ってそれを追い払う。
 あれは、あれはオンナじゃない。オンナじゃなかった。嫌がりもせず、かといって自分から腰を振るわけでもなく、ただ黙って見つめていた人形のようなその瞳。


 ああ、そうだ。


 引きつった笑みを見せながら立ち上がる。
 あの、オンナ。先輩の雇い主だというあのオンナ。好みからいえば少々年増だが、幸いにして整った顔立ちをしている。あれを抱いてしまおう。
 なに、先輩には黙っていろと言えばいい。聡いように見えて、時々おそろしく鈍くなる人だから、きっと気付きもしないだろう。


――――呆れたものだな、少年。喉もと過ぎればなんとやらというが、さっそく次の獲物の物色かね」


 言葉と共に炎が踊った。薄闇に包まれた部屋の中に、一人の女性の姿が浮かび上がる。
 右手ぬ持ったライターの明かりに、耳飾りがオレンジ色の光を反射させた。
 形のいい足を高々と組み、傍らの長椅子に身を沈めている。
「それにしても、考えるに事欠いて“年増”とはいい度胸だな。整った顔立ちだと褒められてもちっとも嬉しくないぞ」
 言いながら口に咥えた煙草に火を点ける。眼鏡越しではないその瞳には温かみなど欠片もなく、実験動物を見るかのような酷薄さのみが見て取れる。
「なっ……!」
 口に出してもいないことを言い当てられて硬直する少年に、女性は底冷えのするような笑みを浮かべてみせた。
「だが、まあいい。君がそんなことを考えてくれたお陰で、私も依頼を遂行するのに良心の呵責を覚えなくてすむ」
 背筋に先ほどとは違う種類の震えが走った。
  
 ――――コレは、違う。


 まったく根拠のない、けれど間違えようもない確信と共に彼は悟った。
 コレはオンナじゃない。あいつと同じ、いやそれ以上の化け物なのだと。
「生憎だが、私は化け物じゃない。悪い魔術師、つまりは魔女さ。呪いで人を蛙に変え、茨の棘で覚めぬ眠りに引きずり込むのが生業でね」
 心底美味そうに煙草の煙を吐く。
……今回も、君に呪いをかけさせてもらったよ。なぁに、あとで解いてやるから安心したまえ」


 その言葉に彼は思わず自分の肩を抱き――――その場で硬直した。 


 驚愕と不審の念も顕わに己の胸に手を当て、そっと指を動かす。
 今までにも何回となく触れたことのある、しかし自分には存在しない筈の膨らみをそこに感じる。
 弱く摘めば弱く、強く摘めばその分だけ強力な感触が脳裏に走る。
「ま、まさか……
 右手を己の下腹部に這わす。


 ―――そこには、何もなかった。


 見慣れた、触れ慣れた己の相棒はそこにはなく、ただただ深い谷間があるばかりだった。
 そう言えば、なぜ自分はこんな格好をしているのだろう。眠りについたときには普通のシャツとズボンを身に着けていた筈だ。自分は一体いつ、こんな貫頭衣に着替えたのだろう。
「さて、覚悟はいいかな?」
 長椅子に座る魔女が楽しげに指を立てて左右に振る。
 ぼう、と薄闇に幾つかの人影が浮かび上がった。
 背格好からおそらく男性のものであろうその人影。およそ十人は越えるであろうそれは、その全てが一糸纏わぬ生まれたままの姿をしている。
……ひっ!?」
 本能的な恐怖に少年が――――いや、少女が身を震わせた。
「今日、いやもう昨日か。君の友人の家族の方から連絡があってね」
 魔女が紫煙を燻らせながら気だるげに声を出した。彼女が告げた名字は彼のよく知っていた人間のものだった。大企業の重役の息子で、仲間内ではリーダー格だった少年のものである。
 説明を加えながら指を鳴らす。
 おぼろな人影が少女を目指して歩き出した。
「息子の復讐をして欲しい、息子をこんな目に合わせた奴を赦せないというんだ。確かに、人の親なら当然な感情だな」
「それなら……それなら俺には関係ないじゃないか! あいつを殺したのは、あの化け物だっ! 俺じゃぁねぇ!」
 物言わぬ人影が少女を床に押し付ける。抵抗するが多勢に無勢、たちまちの内に大の字に身体を固定されてしまう。
「おい、何考えてんだよ! こんなのおかしいって! それに、俺に何をしやがったんだよ、この野郎!」
 不快げに魔女が眉を顰めた。
「五月蝿いな。少しは黙っていられないのか」
「黙るわけねぇだろ、この変態! 悪魔! 人でな……!」
 打撃音が響いた。一度ではなく二度、三度と連続する。少女に馬乗りになった人影が顔を殴りつけているのだ。
「失礼したな。女性の口を閉ざすにはこうするのが君たちの礼儀だったか。なるほど効果的だ」
……ぅ」
 手を上げて暴力を止めさせ、魔女が楽しそうに唇を歪める。
「悪魔ね。よく言われるよ。言われ慣れてしまってもう何も感じないほどだ」
 その眼差しが凍りつき、氷河のように冷酷な声が唇から漏れた。


――――では、私に囚われたお前は何だ。ケダモノか虫けらか人間の屑か」


 短くなった煙草を靴底で踏みにじって消し、身体を起こす。


「群れなければ何も出来ない。か弱い少女を半年に渡り恐喝し、復讐されれば尻尾を巻いて逃げ出す。挙句の果てには被害者面か。お前、一体何さまのつもりだ?」


 あまりの言われように絶句した少女が、それでも不服げに魔女を睨んだ。
 そこにあるのが怒りならばまだいい。それは自分に幾許かでも誇りを持っている証拠だからだ。だが、彼の眼差しにはそんなものはなかった。そこにあるのは、なぜ自分がという甘ったれた恨みがましい不満の表情だけだった。
「不満そうだな、自分は悪くないとでもいうつもりか」
「当たり前じゃ……!」
 言葉は途中で途切れた。魔女が無言で少女の顎を蹴りつけたのだ。よほど力が籠もっていたらしく、幾つかの白いものが床の上に転がった。 
「本当に見下げ果てた奴だな、お前は。そんなものが生きていてなんになる?」 
 憶えておくがいい、と魔女は言った。
「私がお前を殺さないのは、可愛い部下がお前を匿ってくれといったからだ。だから、私はお前を肉体的には傷つけない。その身体はね、私の作品だ。私が作り上げた人形の身体だよ。だから、その身体を傷つけようが痛めようが私の自由だ。お前の本当の身体は……ほら、あそこだ」
 顎で部屋の反対側を指し示す。そこには、糸の切れた人形のように一人の少年が壁に背中を預けて座り込んでいた。
 驚愕に顔を歪める少女を見やり、魔女は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「どこまで話したかな……ああ、そうか。復讐か。
 私もね、さすがにそれは引き受けかねたよ。だって、悪いのはお前たちじゃないか。正義なんてものがどこにあるのかは知らないが、私だって女だからな。“彼女”の味方につくのは当然だろう?」
 軽く息をつき、二本目の煙草を取り出す。
「だから、言ってやったのさ。『お宅の息子さんは、そうされても仕方のないことをしたんです』ってね。
そしたら、なんて答えが返ってきたと思う?」
 笑いながら少女に顔を近づける。
「『ウチの息子がそんなことをする筈がない、もしやったとしても誰かに騙されてやったに違いない』ってね。……いい話じゃないか。お前らみたいな奴でも庇ってくれるんだ。親の愛ってのは偉大だね」
 煙草の灰が少女の身体に落ちた。熱さと痛みに苦鳴が漏れる。
「だがなぁ、復讐しようにも、彼を騙した“誰か”なんてもういないんだよ。みんな“彼女”が殺しちまったからな。……ただ一人を除いて、ね」
 含みを持たせた声で魔女が笑う。
「だが、その一人にしても保護してやるよと言ってしまったしな。……どうしたらいいと思う?」
 言いながら少女の傍らにしゃがみこむ。黒いスカートの中で、同色の薄布に包まれた足がちらりと姿を覗かせた。普段ならば食い入るように凝視するのだろうが、今の彼にはそんな余裕は欠片もなかった。
「悩んでいたら、もう一つ依頼が入った。君のよく知っている“彼女”の父親だ。彼は私のお得意さまでね」
 手を伸ばし、そっと胸元に指をかける。刃物が仕込んであるはずもないだろうに、その指が触れたところから衣服が切り裂かれていった。
「彼は言ったよ。『私の娘を傷つけたケダモノに、娘と同じ屈辱を』とね」
 ひく、と少女の喉が鳴った。
 じゃあ、俺がオンナになっているもの、周りの男たちも……
「私は一も二も無く同意した。だって、そうだろう? お前は報いを受ける、依頼人は満足する、私は楽しめるし報酬ももらえる。一石三鳥、いや四鳥じゃないか。こんな依頼を受けない手はないよなぁ」
 臍の辺りまで着衣が切り裂かれる。形のいい乳房が空気に触れて微かに震えた。
 そっと手を伸ばし、魔女がその膨らみの頂点を摘んだ。
「んっ……!」
 その部分から走る快感に声が出そうになるのを、少女は唇を噛んで堪えた。
 何だ、今のは。
 信じがたい思いで自分の反応を否定する。
 そんな筈はない、俺は男だ。それが、女の身体にされて、あまつさえ感じてしまうなど……
「くく、無理しなくてもいいさ。俗説だが、女性が受ける快感は男性の数倍、絶頂時では千倍に達すると言う。お前だって聞いたことがあるだろう?」
 少女が微かに頷くのを見ながら、着衣の切り裂きを再開した。
「その身体は特別製でね。更にその数倍は感度を高めてある。ついでに、神経系も発情状態だ。お前が感じたって不自然はない」
 遂に胸元から股間までを切り裂き、少女の身体が薄闇の中に浮かび上がった。
 魔女が笑いながら、己の作品の股間に指を這わせる。
……!」
「ほら、な。もうドロドロだ。いつでも準備は出来ている。それに相手をするこいつらも私の特別製の人形たちだ。上流階級の夫人たち用に作ったからな、この世のものとは思えない快楽が味わえるぞ」
 その声に、周りを囲む人影に眼を向けた少女の顔が強張る。
 人影たちの股間は既に臨戦態勢を整えており、天に向かって屹立している。
 だが、その形の多種多様さはどうしたことか。
 形は変わらず長さが異常に長いのもあれば、短くても足ほどの太さのものもある。その横ではまったく同じ形をした二本のものが一人の股間から生えており、更に向かいでは十本ほどの触手のようなものが蠢いている。あるいは瘤に覆われているもの、血管が畝のように覆っているものなど、何も知らぬ乙女が見れば発狂しそうな悪夢のようなモノたちが並んでいた。
「怖いか?」
 その問いに何も答えず、ただ狂ったように頭を上下に振る。
「そうかぁ……でも大丈夫さ。“おとなしくしてれば、すぐに気持ちよくしてやるよ”……お前たちの流儀では、そう言うんだろう?」
 呟きながら、液体に濡れた自らの指を口に含む。
 ざわり、と胸元に感触が生じた。少女の傍らに腰を下ろした人影が、だらりと伸びた舌で舐め上げたのだ。その表面には微妙な凹凸が刻まれ、まるで柔らかい紙やすりで愛撫されているような感触さえ覚える。
「や、やめ……
 その声を聞きながら、魔女が長椅子に戻った。今度は足を組まず、むしろ何かを誘うように開いた格好である。
……う、ああっ!」
 ぞろり、と少女の股間が舐め上げられた。人形とはいえ男に舐められているという嫌悪感と、それと同等の快感が背筋を走る。
 そっと少女の腰が持ち上げられ、ブリッジをするような体勢にさせられた。ちょうど魔女の方向に股間を晒す形である。いまだ何も受け入れられたことのない無毛の丘が、光すら帯びて微かに揺れる。
「ふふ、それは何かな。唾液か、それともお前の液なのか」
 からかうような魔女の声にも、少女はもはや答える術を持たなかった。
 浮き上がった腰の下に身体を入れた人形が、背中側の窄まりに舌を突き入れたのである。
「や、や、め、汚っ……!」
「汚くなんかないさ。言ったろう、それは人形だって」
 そうは言われても、本能的な衝動まではどうにもならない。ましてや男に舐め上げられているのだ。
 突き入れられた舌が激しく前後する。しかも丸まって入れられたと思えば出すときには広がりという風に、さまざまな刺激を与えるようにだ。
 愛玩用人形の面目躍如といったところであろう。
「助け、助けて……
 魔女の目がつり上がった。こいつは、この期に及んで慈悲を乞う気か。彼女が助けを乞うた時、嘲笑いながらそれを無視したケダモノが。
 ならば、もう容赦はすまい。一斉に襲い掛かるよう指示を出そうと片手を挙げ、


……先輩、助けて下さい……


 一瞬だけもれたその言葉に獰猛な笑みを浮かべる。
 あるいはそれは、かつてその身を救ってくれた青年に助けを求めたに過ぎないのだろう。あの呆れたお人好しの、誰も信じないだろうと思っていた自分の言葉を信じてくれた青年を。警察にも突き出さず、安全な場所に連れて行ってあげると言ったあの笑顔を。
 だが、そんなことは知ったことではない。


 なぜなら――――彼女は魔女なのだから。


「そうかそうか、なるほどな……
 得心したように嗤う。獲物を見つけた悪魔の笑みか、犯人の言葉尻を捕らえた検事の笑みか。
 その指が奇妙な印を結び、呪文が静かに唇から漏れる。
「さっきも言ったが、その人形たちは特別製でね。呪文一つで姿が変わる。どうやら君はこの方が嬉しいらしいな」
 眼を瞑って送り込まれる感触に耐えていた少女だったが、その言葉にそっと薄目を開け――――次の瞬間には眼を見開いた。
「先輩!? なんで……
「なんで、とはご挨拶だな。君が一番欲していた人物の姿にしてやっただけだ。君はさっき、彼を求めたのだろう?」
 違う違うと首を振る。自分は助けを求めたのであって、間違っても先輩に抱かれたいなどと思ったわけではないのだと。
 だがそんなことも知らぬげに、少女の先輩と同じ顔をした青年たちは作業を続行する。
「やめッ!やめて!やめて下さい、先輩!」
 先ほどとは違う、顔見知りの男性に舐められているのだという感覚は、それまでとは次元の違う感触をその身体にもたらした。男性にいたぶられているのだという嫌悪感、女性の身体がもたらす快感、そして知り合いに奉仕させているのだという背徳感が渾然一体となって彼女の身体を翻弄する。
「ふふ、もう頃合か?」
 魔女が微笑んだ。ただ暴力で屈辱を与えるのでは芸がない。少女が自分から望むように仕向けなければ報いを受けたということにはならないだろう。
 それゆえに、彼女は人形たちに一線を越えるようには命じなかったのだ。
 指先の動き一つで人形の一体を呼びつけ、部下と同じ顔をしたそれを鑑賞する。顔立ちは悪くない。いつもつけている眼鏡がないから違和感はあるけれども、それでも充分に見れる顔立ちだ。性格を差し引いて考えても、魔女の弟子が惚れ込んでいるのも解る気がする。
「ふふふ、もしばれたら焼かれるだけではすまないな。いや、その前に切り刻まれるか」
 言いながら、人形の手が優しくシャツをはだけさせていくのを見守った。そのままスカートも下ろさせる。
――――ん」
 次の人形がやってきた。それを長椅子に座らせると、身体を起こしてその膝の上に座りなおす。ちょうど背中側から抱きしめられる格好である。
 一体目の人形が胸を愛撫しにかかるのを感じながら、二体目の人形に合図を送った。魔女の形のよい臀部の下で、何本もの触手の様なものが蠢くのを感じる。
 微かな音がして、魔女の下半身を覆う黒い薄布が破かれた。破れ目から覗く赤い下着と魔女の白い肌が鮮烈なコントラストを描く。
「最初は、上から……な?」
 触手が下着の上からの愛撫を開始した。男性の無骨な指とは比べ物にならない繊細さでそこを優しく揉みほぐし、擦り立てる。
 隔靴掻痒、直接に触られているわけでないもどかしさが逆に快感となって魔女の身体を走った。
……ん、ふ……
 神聖な場所を守るはずの赤い下着は既に内側からの湿り気によって素肌に張り付き、その場所のカタチを浮かび上がらせている。
 赤子のように胸元をしゃぶっている顔を引き剥がし、部下と同じ形の唇を奪った。二枚の舌が軟体動物のように蠢きあい、唾液がこぼれる。
……ふふ、あいつはこんなにも上手くはないだろうがな」
 苦笑しながら背後から自分を抱きしめている二体目に合図を送った。触手が、赤い布を持ち上げてその下に入り込む。
 眉を寄せて魔女が快感をこらえた。
 触手の一本が割れ目の丈夫に位置する真珠を捕らえ、陵辱を開始したのだ。巻きつき、擦り上げ、微妙な振動を送り続ける。
 それ以外の触手は二手に別れ、魔女の股間に息づく二つの洞窟へと侵攻を始めた。
 その一本一本が独自の速度と拍子で前後運動を開始する。人間相手では、いやどんな器具でも味合うことの出来ない悪魔の快感。
「あぁ……っ!」
 たまらず身体を浮かせようとするが果たせない。背後の人形が彼女の腹部に腕を回し、逃がしはしないと己の腰の上に打ち付ける。
「く、くう……っ!」
 額に浮かんだ汗で髪の毛が張り付き、頬が紅潮する。その唇に獰猛な笑みが浮かんだ。
……くく、どうだ、ケダモノ。お前も、コレを味わいたいか?」
 苦しい息の中でそう告げる。
 既に、少女の周りの人形たちは彼をいたぶるのを止めていた。
 意表を疲れた表情で少女が魔女を眺める。黒い薄布で包まれた魔女の両足にはそれぞれ一人づつの人形が取り付いてぞろりぞろりとそれを舐め上げ、赤い下着は一方に寄せられてもはや秘所を隠す役を為していない。分泌された液体が床を濡らすかと思えば、そんなことのないように一人の人形がソコに口を当てて吸い取っている。
……あ」
 少女の口から躊躇いがちな声が漏れた。
 彼はまだ快感の深みに達してはいない。絶頂を経験してはいないのである。それを味わってみたいと言う欲求と、元来は男であるという自負心がせめぎあい、少女を深刻な二律背反に追い込んでいた。
「そうか、じゃあ仕方がない。これは……私一人で楽しむことにしよう」
 その声と同時に、少女の身体を固定していた人形たちが一人また一人と背を向けて離れていった。
 彼を助けてくれた先輩と同じ姿のそれが、背を向けて離れていった。
「や……待って、待ってください、先輩!」
 慌てて最後の一人にしがみつく。
「ほう? 覚悟を決めたのかね、ケダモノ。だがまだ不十分だな。人に何かを頼む時には大事な言葉が必要だろう。“お願いします”という言葉がな!」
 楽しそうに笑う魔女の声を聞きながら、少女は唇を噛み締めながらこう言った。
「お、おねが……お願い――……しま…………
 その言葉に、少女がしがみついていた人形がそっと振り向いた。肩から下はそのままで、首だけを真後ろまで回転させたのだ。
 だらり、と首が折れて背中に垂れ下がり、半開きに開いた口から紫色の舌が顔を覗かせる。その瞳は虚ろで、およそ感情というものが欠落していた。
……………………
 その声に、弾かれたように少女が後ろに飛び退った。
 腰が抜けたのか立つことも適わず、両手を使って必死にそれから離れようと後ずさる。
「そ、そんな。お前は、あの時あいつに殺されて……
 そうだ、彼は死んだ筈だ。あの薄暗い地下室で、一番最初にあの化け物に殺された。
 その後ろから、懐かしい友人たちの姿をした人形が歩いてくる。あの化け物を殴りつけ、背骨をおられて死んだ男が、逃げ出した彼に助けてくれと叫んだ友人が。 
「う、嘘だろう!? 昭野!? 康平!? なんでお前たちまで……
 あの化け物に殺された、逃げ出して隠れていた彼と知り合いだったばかりに犠牲になった友人たちが。
「そう邪険にするモンじゃないだろう。君の友人たちも会えて嬉しいといっているしな。こんな姿にしてくれた御礼を言いたいそうだ」
 魔女の声が響く。この場の情景にそぐわない、楽しくて仕方がないという声が。
「それとも、この期に及んでまだ自分とは関係がないとでも言う気なのかね? お前と知り合いでさえなければ、お前がおとなしくアイツに殺されてれば死ななくてすんだオトモダチの前で?」
 背中が壁についた。逃げ場のない少女を亡霊たちが取り囲む。
 物言わぬその目が語っていた。なぜお前が生きているのだと。
 俺たちが死んだのに、なぜお前だけが無事でいるのだと。
「た、助けて……赦して……
 涙ぐみながら震えだす少女を見つめ、一人がゆっくりと前に出た。常人の二倍はある腰のものを突きつけ、捻じ曲がってかすれ声しか出ない喉で言葉をつむぐ。
……ゆるし……て、欲し……ければ……わかって………………?」
 そうだ、彼はいつもそうだった。殴りつけ、赦しを乞う少女に奉仕させるのが好きだった。
……あ」
 おずおずと、それを手に握り締めて口に運ぶ。
 もはや頭の中は空白だった。一刻も早くここから逃げたいと、早く赦されたいとそれだけしか考えられなかった。 
 それを合図に、何体もの人形たちが少女に向かって襲い掛かっていった。






















 煙草を燻らしながら、魔女はゆっくりと身体を起こした。
 椅子代わりにしていた自分の作品である人形に目をやり、静かに笑う。
「まいったな。もうしばらくすればアイツが出勤してくる。……平静でいられるかどうか自信がないぞ、私は」
 弟子にならまだしも、部下の恋人にでも気付かれたら身の破滅だ。比喩ではなく八つ裂きにされてしまうだろう。
「コレを一体やるから、と言っても聞いてはくれんだろうなぁ……
 やれやれ、と頭をかく。
 まぁ、これはいい。呪文一つで姿が変わるように造ってあるのだから、別の人物の顔にでもしておけば済む話だ。
 それよりも、問題はあちらの方か。あの少年の精神を、元通りの身体に収めなくてはならない。
「さて、まだ正気が残っているかな?」
 振り向いて、部屋の中央を眺める。
 既に宴は終わったのか、力尽きたように倒れる人形たちの中心で、一人の少女が膝を抱えて蹲っていた。
 耳を澄ませばその口からは微かな呟きが聞こえる。
 死んでいった友人の名前と、そして謝罪の言葉。
……ふん、この期に及んでもまだ“彼女”には赦しを乞わないつもりか。まぁ、それもお前らしいが」
 近づいて、もう何も写さなくなった瞳を覗き込む。


「罪を犯したという罪悪感、良心の呵責――――それがなければソイツは人間とは呼べない。ただのケダモノだ。感謝するんだな、ケダモノ。お前は、ようやく人間になれたんだ」


 そして、彼女は微笑んだ。まさに魔女と呼ばれるのに相応しい微笑だった 




















「奢ってあげるわ、食事に行きましょう」
 と雇い主である蒼崎橙子が言った時、黒桐幹也と両儀式はまずお互いの顔を見合わせ、ついで申し合わせたように窓から空模様を窺った。
 いくら眼鏡をかけた状態とはいえ、この女性がこんなことを言うとは雨でも降るかと思ったのである。
 しかも、昨日には溜まっていた給料をもらったばかりだ。雨どころか槍が降ってもおかしくはない。
「失礼ね、二人とも。臨時収入があったから、たまにはいいかなと思っただけじゃない」
「臨時収入って、どこからです?」
 幹也が首を傾げた。事務所の経理を担当している彼であるが、その話は聞いたことがない。
「あのお嬢さんの実家から。幹也くんの給料を払って、滞っていた支払いを済ませてもまだ少し残ったのよ。……ああ、それとこれ」
 懐から紙包みを取り出す。
「君に、だって。娘を助けてくれたお礼だそうよ」
 え、と強張った顔でそれを受け取る。それはおかしい。浅上藤乃の父は、娘を殺してくれと橙子に依頼したのではなかったか。
「正確にはね、彼はこう言ったの“娘を可能ならば保護すること。それが無理なら殺してくれ”って。あの力を持ったままなら無理な話だったでしょうね。でも式が彼女の病気を殺した所為で、彼女の能力は失われた。少なくとも今のところはね。だからこれ以上は罪を犯せないでしょ? それに、幹也くんが医者に連絡してくれたから死なずにすんだわけだしね」
「待てよ。それなら俺にだって貰う権利があるだろうに」
「あら、幹也くんのものなら式のものでしょ? それに、あなただって私から貰うよりも彼に何か買ってもらう方が嬉しいわよね?」
 真っ赤になった式を見ながら悪戯っぽく笑う。
 幹也は苦笑しながらそれを受け取った。こういうものはいくらあっても困るものではないし、父親があの少女の生還を喜んでくれたのなら、それは素晴らしいことだと思ったからだ。
 軽く溜息をつく。
 あの事件について、幹也は一つだけ心残りがある。
 友人から頼まれて探し出した後輩のことだ。
 彼は、今ここにはいない。施設で治療中なのだ。
「幹也、またアイツのことを考えているのか」
 式の言葉に、力なく頷く。
 死んでいった友人の名前と、謝罪の言葉とを繰り返すだけになってしまった後輩が思い出される。ストレスからの急激な開放が原因でしょうと医者は言った。
 もう大丈夫と彼に告げた時の顔が頭に浮かぶ。本当ですかと叫び、それこそ狂ったように部屋の中を走りまわっていた。
 ざまぁみろと藤乃の悪口を怒鳴り散らす彼の姿が不快で、一つだけ釘を刺した。
 君の友人は、もう戻ってこない。けれど、その責任の一端は君にもあるのだと。
 たちまちの内に狂熱が醒めたのか、静かに俯いて唇を噛んでいた。
「あまり気にするなよ、アイツがああなったのは、別にお前のせいじゃない」
 式が静かに言った。あの嵐の中、幹也と話した言葉が思い出される。
「お前の言った通りだったな」
「え?」
「言ってたろ。常識があればあるほど、罪の意識を覚える。だから悪人はいないんだって」
 そう言えば、確かにそんなことを話した気がする。
「正直にいえば、俺は少し疑ってた。あんなことをするケダモノにはそんなものなんてない、だから後悔だの罪悪感だのはないんだって。――――でも、違ってたんだな」
 女性ということからなのか、彼女は湊啓太のことを毛嫌いしている。あんなケダモノをなんで庇うんだと、言葉にはしないでも表情で訴えかけていた。  
――――そうだね、式」
 幹也が静かに頷いた。


「罪を犯したという罪悪感、良心の呵責――――それがなければそれは人間とは呼べない。君が言うようにただのケダモノだ。けれど、彼はケダモノじゃなくて人間だったんだよ」
  
 二人の会話を聞きながら、橙子が微かに唇を歪めた。いつか、どこかで、人形たちに向けたような笑顔で。






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