――よく晴れた、秋のある日。
  私は一体の人形に出会った。

その日は私が気まぐれに人形を出した展覧会の日だった。
私は出展した自分の人形を見に行った事は無い。
だが黒桐がどうしてもと言うので、仕方なく式、鮮花を連れて暇つぶしのつもりで来たのだった。
目的であった私の人形も黒桐達は見たようだし、欠伸を噛み殺しながら出口を目指す。
退屈なモニュメントの影を通り抜けたときだった。
その人形を見てしまったのは。
言って置くが、私――蒼崎橙子は人形師である。それは自他共に認める事実であり、それ以上でもそれ以下でもない。
人形師である故に私は人形を自らの手で作りもするし、人形に対するそれなりの審美眼も持ち合わせていると自負している。
そんな私の眼に適う人形は、いまだに無かった。
無かったのだが。
その無かった物が、今私の眼前にあった。

人形は二つの属性の間を揺れ動く振り子の様なものだ。
人型である以上それはモノであるし、人型である故にそれは人である。
どちらかの属性のみという事は人形という存在上不可能だ。
あるとすれば二律背反を体現し、どちらの属性の極限を併せ持つ矛盾存在だけだろう。
人形でありながら人にしか見えない。しかし人では絶対にたどり着けない人型。
私が足を止めるとすれば、おそらくその様な物だと思っていた。
だがそれは、明らかに違っていたのである。
その人形は私の思想から外れていた。
誰が見ても判る人形の姿形。籠められた深い強い鎮魂の念。
明らかに人形でしかない人型に、絶対に人でしか持ち得ない情を持つヒトガタ。
それは人形でありながら人。人でありながら人形。
“型”で人形を“魂”で人を。
それは型だけでその二つを表そうとした私の思想から外れていながら――いや、それ故に私を惹き付けた。
私がその人形に魅せられたのは、そんな理由が在ったのである。

「黒桐」
隣で私と同じ様にそれを見詰める黒桐は、呼ばれて初めて気付いた様に私を見た。
「なんですか、所長」
横目でその惚けた顔を見る。だが意識の大半は人形に向いていた。それは黒桐も同じ事。
「これの製作者を調べろ。会いに行く。調べ終るまで有給だ」
簡潔に告げて私は踵を返した。
黒桐は何か悲鳴の様にも聞こえる疑問の声を上げているが私は足を止めない。
最早この場に価値は無い。それより早く工房に帰ろう。
あんなものを見せられて、創作意欲が湧かない筈が無いではないか――


――人形舞悼




それから数日の間をおいて、黒桐はお決まりの茶封筒を脇に抱えて出社してきた。
「おはようございます、所長」
字面だけなら爽やかな挨拶だろう。だがそれをした当人の顔は土気色で、今にも倒れそうな感が強かった。
私は顔を顰め、式はガタリと椅子を鳴らし、鮮花は蒼白になって駆け寄った。
「どうしたんですか兄さん!顔色、すごく悪いですよ!?」
「うん、特になんでもない。でもそうだね、ちょっと寝てないのが顔に出てるのかも」
手を振りながら足取りも何処か雲を踏む様に椅子に座る。
彼の言葉に説得力は皆無だった。
式も鮮花と同じく黒桐の机の傍に立ち、その顔を覗き込んだ。
「寝てないってそれくらいだ?」
僅かににじむ不安の色を察したのか――この男にそれだけの鋭さがあったかどうか微妙な所だが――素直に答える。
「えっと……九日、かな?」
「馬鹿かオマエはっ!」
怒鳴る式に叱られる子供さながら、黒桐は身を縮めて小さく抗議する。
「だって――」
「だっても何もあるか!オマエが普段言ってるんだろう『無茶はするな』って!」
「今回ばかりは式に同意します。まったく、何を考えてるんですか兄さんは!」
それもあっさりと二人の剣幕に圧殺された。
私自身も嘆息しながら質疑に加わる。
「黒桐、お前らしくも無いな。一体何をしていた?」
「…………」
何か、とても悪い事を言ってしまったらしい。その言葉の何が悪かったのかはさっぱりだが。
黒桐は机に突っ伏し、そのために式と鮮花は揃って私を睨み付けている。
私は慌てた。実に慌てた。その視線に殺意が含まれていそうなので。
「おい、ちょっと待て。私が何を言った?」
「知るか」
知るかとか言うんだったらその眼を止めろと言いたいのだが、通用しそうに無い。
私は黒桐を手早く復活させる事にした。出来る限り、早く。
「黒桐、一体何があった?とりあえず言ってくれないと私の生命健康に多大な悪影響が出そうなんだが」
「――――です」
「なんだって?」
蚊の鳴く様な力無い声。おかげで聞こえなかったので聞き返した。
それに黒桐は、さっきより幾分マシというだけのやはり力無い声で呟いた。
「例の調査です……」
「あの人形の、か?あれぐらいオマエならちゃちゃっと――」
私の科白の後半は余りに重いため息にかき消された。
その様子に、私の脳裏に今まで浮かばなかった一つの可能性が浮かぶ。
実績から考えればそれは余りにも希薄な可能性だったが、何より今の黒桐の様子がそれを是と言っていた。
「まさか……何も分からなかったのか?」
「名前以外……それで僕もムキになっちゃいまして……」
その言葉は私達三人を驚かせるのに十分だった。予め予想していた私にすらそれは衝撃的だった。鮮花に至っては息を呑んだように口元を覆っている。
誰もが言葉を発しない。沈黙が淀む。降り積もる静けさはそれ自体が重みを持つようにそこにいる全ての人間の双肩に圧し掛かる。
最初に現実復帰したのは私だった。黒桐は最初から向こうに言ってないので復帰とは言わないので私で合っている。
「それはまた……奇怪な事に出会ったもんだな」
「奇怪って……橙子さんが頼んだんじゃないですか」
「そうだった」
あっさりと肯定して、その失策に気付く。
向こう側に行っていた二対の眼が再び私を捉えていた。
はぁ……
深い嘆息。まったく呆れるばかりだ。どうしてこう、聞かなくていい事は聞いているのか。
それに関して言及するとこちらに被害が及びそうなので何も言わない。
「あの出展者からさかのぼって売っていた店までは突き止めたんですよ。でもあの人形は持ち込まれた物らしくて、住所などはさっぱり……」
「名前は分かっているんだろう?それなら住所も――」
それが黒桐のいつものやり方だったはずだった。だから聞いたのだが。
さらに大きいため息。
「……戸籍が無いんです。どこにも」
「そういう事があるんですか、兄さん?」
鮮花の問いは至極もっともなものだ。
黒桐は首を振って答える。
「普通は無いんだけどね……無いとも言い切れない。でもこの場合は異常なんだ。その店まで行ってみて聞き込みしたんですけど、目撃者が一人もいない。
 最近の事とはいえ、店のおじいさんはずいぶん目を引く美少女だって言ってたから誰か見ているだろう思ってたのに」
「目撃者が一人も居ない、か」
その事は確かに異常だった。
だがその手の異常はありふれたものと言ってもいい。
魔術師の、私にとって。人の記憶に残らないようにするという事は出来ない事ではなかった。
そしてそれは、予想していなかったという訳でもなかった。
あれだけの人形を作れる者を私が知らないとしたら、それは明らかに隠れていた場合だけだ。
それも、誰にも知られないような方法――私の様に結界を張る事で。
「それで、名前はなんと言うんだ」
自分でも眼が曲がって行く事を自覚しながら、忘れていたそれを尋ねた。
黒桐はもうほとんど机に突っ伏したまま――その為に私の表情など見えなかっただろう――その名を告げた。
「確か、比良坂初音って言いました」
「比良坂初音か……またそれらしい名前を。それで、店の場所は」
「奥飛騨の山際にある小さな町の店ですよ。燈篭堂っていう個人経営の店なんですけど、立ち寄った好事家がその人形を一目見て気に入ったとか。それであの展覧会に出る運びになったんですよ」
黒桐の言葉にしばし黙考する。
奥飛騨――事情がある者が隠れ住むにはもってこいの場所だろう。
これはいよいよ“それらしく”なってきた。
さて、と息をついて私は椅子から身を上げる。
「橙子師?」
呼び掛ける鮮花の声を無視し、奥の部屋から旅行用の鞄を持ち出す。二・三日は掛かるだろうから。
手早く荷物を纏め上げ、いまだ机の上で突っ伏したままの黒桐を見下ろした。
「有休の追加だ。期間は私が帰るまで。その間、社員は自由行動」
そう言い残して、足早に工房を出る。
黒桐の、先日よりさらに際どさを増した何か信じられない事でも起きたかの様な叫びを背中で聞きながら。


奥飛騨の、その人形店「燈篭堂」。
その店主はいかにも好々爺然とした老人であった。だが同時に、その長い人生は紆余曲折の物であったと思わせる重さを持っていた。
彼はその見事な顎鬚を撫でながら、突然訪ねて来た私にも親切な応答をしてくれた。
「ああ、よく覚えとるよ。あの子はここらじゃ見ない程綺麗な子じゃったからな」
出してくれた緑茶で喉を潤す。
黒桐から聞いた話であったが、それは確かならしい。
私は別の質問を重ねた。
「御主人。彼女はそれからここには?」
それはこの店のショウウィンドウに明らかに彼女の手と判る人形が飾られていたから出た質問だった。
店主は私の予想通りに頷く。
「昨日じゃな。あの人形を持って来おった。前の時もそうじゃったが、良い人形じゃ」
タイミングを逸したか、と私は内心臍を噛む。
だが店主の言葉には続きがあった。私にとって実に幸運な。
「それでじゃな、その数日前に一人彼女の事を尋ねて来おった若造がおっての。
 あの子も良い子じゃ。眼の綺麗な子でな」
「それは私の社員です。彼女に会いたくて私が調査を頼みました」
私の説明に、老人はそうじゃったかと二度頷いた。
「その事を話したらのう、手紙を書き残して行きおったんじゃが、あんたに渡しておこう。あんたも大丈夫じゃ」
何が大丈夫なのか、それは分からなかったが、そう言って席を立った店主は、幾分後白い簡素な封筒を持って現れた。
差し出された封筒を受け取り、中を見る。
中にはこうあった。

――私を捜されていた御方、またはその依頼主様へ。
  直接お会いした事こそありませんが、御店主は貴方にならと仰るので筆を取った次第です。
  きっと聡明な貴方ならお分かりでしょう、御店主は私の為に多少の虚偽を申されました。
  それに関しては御店主を責めないで下さい。私の望む様、世を余り私に触れさせたくなかったのです。
  私は事情があって隠遁を続けている身です。世間とあまり干渉を持つ事は望んでおりません。
  ですので私の事に関して、他言する事は無い様お願い致します。それだけはお守り下さい。
  私は奥飛騨のとある村に住んでおります。空蝉村、そう呼ばれる山奥の村です。その付近の山に庵を編んで暮らしております。
  お会いするとすればその庵でお願いいたします。
  それでは貴方と御会いできる事をお待ちしております。
  草々 比良坂初音――

その短い手紙を読み終え、私は顔を上げた。
店主は前と変わらぬ笑みを浮かべて私を見ている。あの重みを持った、隠者の笑みのまま。
「御主人、貴方は――」
何者か。
喉元まで出かけた疑問を、結局私は口にしなかった。
隠れ潜む者を暴く権利は私には無かったから。いや、誰にもそんな権利ありはしない。
だから彼は私にとって人形店「燈篭堂」の店主でしかない。
それなら――そんな分かり切っている事を聞く必要は無いではないか。
「いえ、何でもありません。どうも有り難う御座いました。またその内御礼に参らせて頂きます」
「大した事はしとらんよ。じゃが、貰えるものは貰っとこうかの」
にやりと口の端を歪めて老人は笑った。
その笑みは決して不快なものではなかった。
私はもう一礼して店を辞した。
今度作る人形は此処に持って行こう。
きっと良い人形が造れるだろう――


あれから適当な宿で一泊とってから目的地に向かった私だが。
空蝉村という村は、もうほとんど隠れ里に近かった。
そこへの交通機関は全く無し。仕方無く一番近いバスが通っている村から山中を歩く事二時間程。
途中で道を聞いた老婆は、私の様な服装の人間があんな村に何のようだといぶかしんだ位、辺鄙な場所である。
山道に対してあまりにも無力なこの服装を恨めしげに見下ろしながら、私は歩き続ける。
木々の切れ目を見つけ、私はそちらに向かった。
そこは崖の様な場所だった。眺めは格段に良い。見渡したその風景の、盆地に小さく疎らに昔ながらの家々が並んでいる。
あれが空蝉村とみて間違い無いだろう。
そこから周囲の山に眼を走らせる。午後三時頃の日差しは紅く染まり始めた山々を彩りながら降り注いでいる、その景観。
「――そこか」
魔眼が捉えたその小さな庵。
そこを目指して私は再び歩き出す。
あれこそ彼女の住処に違いなかった。
期待するな、とは言えまい。私でもそういう事はある。年に二回もあれば珍しい程度だが、ある事には違いないのだ。
堪え切れない笑いは、速度を上げる足となってその庵へと進み行く。
三十分程でもう庵の近くまで来た。足が少し痛いがその程度、十分に引き換えにしていい相手である。
クックッと口の端で密かに笑い、
背筋に寒気が這い登った寒気にそれを凍らせた。
「何が目的ですか、魔術師さん」
幼げな声を零下にまで叩き落したその響きは、この私にすら小さくない恐怖を与えた。
射る様な――否、刺す様なその視線を辿る。字の通り空中に線が在るのではないか、そう思える位強い視線を。
その先に居たのは、一見普通の少女だった。
あくまで、一見は。
それ以上深い所を見ると浮かぶのは毒々しいほどの黄色と黒の大蜘蛛の姿。
「答えなさい」
鋭い声。外見に合わないそれだが、詰まっていないよりはマシだろう。
……もっとも、私としては迷惑な事だ。煙草を吸う暇も無いのはやっていられない。
無駄な思考を表層に走らせながら、持っていた鞄の柄を握る。
使うつもりは無かったのだが、死ぬ訳にも行かない。
正に備えあれば憂い無し、か。
嘆息をつきながらとりあえず説得に入ろうとしたその時。
少女の殺気は霧散した。
代わりに年相応の慌てふためく様を現して。
「本当ですか姉様っ?でもその――ああああ……ごめんなさい、ごめんなさい……早とちりでした……」
顔を真っ赤にしてうつむかせている様は似合ってはいるのだが。
とりあえず一歩間違えていたら唯では済まなかったこの状況では――
「てっきり退魔が追いかけてきたのかと思ってしまいまして……本当にごめんなさい……」
「……まあ構わないという事にしておこう。君は?」
解けた緊張に、煙草を吸おうとして此処が山の中と言う事を思い出した。だから今まで吸っていなかったのだ。
舌打ちして懐にやった手を出す。
その間に少女の動揺も、ある程度収まっていた。
「わたしは深山奏子と申します。あの、燈篭堂から来られた方ですよね?」
「そうだが」
「ああああああ……やっぱり……」
なにやら再び激しく落ち込んでいる深山嬢。
事情を知っているという事は比良坂初音の関係者か。
「初音姉様から丁重にお出迎えするように言われてたのに……あううううう……」
……これ以上、付き合ってられない。
「取り込み中悪いが、彼女を知っているのならとりあえず案内してもらえるかな」
「あっはいっ!こちらです」
くるりと身を翻して歩き出す深山嬢の後を追う。
深い深い山の木々は、此処に来てさらにその度合いを増していた。地脈が随分と良い事が一見して分かる。
さらにその木々に渡された銀色の煌き――
「……蜘蛛糸による結界か。しかしこれは防御用と潜伏用ばかりだな」
自分にしか聞こえない程度にぼそりと呟く。
この時点で比良坂初音という相手がなんなのか、確信が持てた。
おそらく数百年を生きた女郎蜘蛛。それもかなり力の強い。
だがそんな事、どうでもいい。
むしろそんな相手がどうして人形造りを――しかも鎮魂等を願って――始めたのか。そちらの方が断然興味をそそられる。
「あちらです」
声に顔を上げれば、そこに庵はあった。山を流れる清流の辺。咲き乱れる紅い慢珠沙華に包まれて。
だがその真紅より眼を引いたのはその庵の前に立つ少女。
抜ける様な白い肌と、漆黒の長い髪。誰かに似ている、そんな感触。
彼女が比良坂初音。あの人形の製作者。
ああ、それなのに――
口の端でクスリと嗤う。
彼女はアレより余程人形らしかった――
ああ、でもそうか。私も人形だった。
もしかしたら人形製作者は人形に近くて当たり前かもしれない。
その事は――酷く私を満足させた。
どういう風にかなんて分からないけれど。
その清流にかけられた簡単な橋を渡り、軽く頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私は東京で人形造りをやっている蒼崎橙子という者です」
そう言って、一応持ち歩いていた名刺を差し出す。
「私の事はご存知なのでしょうが、礼には礼を返して――比良坂初音と申します。
 ……もうお分かりでしょうが私は――」
続く言葉を察知して手で止める。
「いえ、結構。街行く者から見れば私もそう変わるものではありません」
そう、どちらも異常には違い無い。
結局そういうものだ。まあ種が生きるうえでのシステムとしては間違ってはいない。
比良坂嬢は私の言葉に、実にらしい笑みを浮かべた。
「ああ……思っていた方とは随分違いますわ」
「気に障りましたか?」
「いいえ。此処まで来るのでお疲れでしょう、中へお入り下さい」
柔らかい笑みのまま、彼女は庵の戸を開いて中にはいった。
庵の中は簡素極まりない。人形造りの道具も無いから、それはどこか別の所でやっているのだろう。
と、比良坂嬢は私に敷いた座布団を差し出した。
礼を言って座る。彼女は私に中央の囲炉裏を挟んで向かい合った。
「燈篭堂の御店主には、私の造った人形を見て――とお聞きしましたが、どの子だったか容姿を教えていただけますか?」
どの子、と彼女は言った。やはり相当思い入れがあるのだろう、人形に。
「藍に鈴紋の市松です。東京の展覧会にあの人形を買った好事家が出したようで」
「ああ……鈴歌でしたの。あの子をご覧になりましたのですか。元気そうでしたでしょうか?」
「手入れはきちんとされていました。雰囲気的には何処も傷ついた様子は無かったと記憶しています」
私の答えに、比良坂嬢は先と同じ笑みを見せた。
「随分科学者の様なお答えをされますのね」
「魔術師は科学者とそう変わりはしません。魔術は学問ですので、これは染み付いたものでしょう」
普段なら面白みの無い会話と斬って捨てるようなこれすら彼女となら快く思える。
だが、そう長居も出来まい……
深山嬢が出してくれた緑茶――黒桐が入れた物より二段階は美味い――で喉を潤してから、私はついにその事を尋ねた。
「こんな事を聞くのは無粋かもしれませんが、何故あの様な人形を造られたのですか」
「あの様な……とは?」
首をかしげ、彼女は問い返す。その仕草すら彼女の人形じみた容姿のせいでツクリモノめいて見えた。
「人形に込められていた、昇華の業。在るだけで浄化すらもたらすあの鎮魂。
 何故ただの人形ではなくそんな事をされたのか。私はそれが聞きたくて此処まで来ました」
静かに平坦な声で投げかけた私の疑問に、彼女はしばし沈思した。そこには何故か――暗さがあった。
横で見守る深山嬢にも、同じ色が見える。
それを私は後悔と判じた。
誰もが言葉を語らない。
開いた窓から吹き抜ける風は、かすかに冷たく秋の心地を思わせる。
それに揺られて幾枚かの赤い紅葉がひらりと部屋に舞い降りた。
その最後の一葉が床につくと同じくして、比良坂嬢は再びその声を響かせた。
「私は奏子と出会うまで、自らの親である蜘蛛と長い長い殺し合いを演じておりました。
 彼に勝つため――そんな事の為に、どれ程無意味に人を喰らったでしょう。
 幸せな今だからこそ、その罪を忘れない様あの子達を造り、少しでも償いたかったのです。
 ……浅はかで手前勝手な、これがあの子達を造った理由ですわ」
それ故に、あの子達は愛しいのだと彼女は語る。
――その独白を、私は知っている。
――その傷痕を、私は識っている。
彼女を見た時何処か感じた既視感。
なんて事は無い、私は既に彼女に似た少女を知っているのだ。
自らでも気付かぬ愉悦故に人を殺し、戦いの果てに全てを悟り、懺悔と後悔に身を委ねていた彼女を。
だがその時の彼女と比良坂嬢が明らかに一線を画するのは。
後悔を持ちながら、あんなにも美しい“子供達”を生み出せるのは。
「貴方は、自ら選んだ道で罪を負っているのですね」
背負った罪によって道を選ぶのではなく、選んだ道によって罪を背負うべきだという事。
それを彼女は知っていたが故に、すべてを子供達に込められる。
「だからこそ、あんなに儚く――」
美しい――
後には言葉も無く、ただ静かに時が過ぎ行く。
窓から差し込む夕日は、小さな庵を赤く紅く染め上げる。
聞きたい事は全て聞いた。
知りたい事は全て知った。
もう此処に居る理由は無い。
それなのに私は立ち上がろうとしなかった。内心苦笑するような出来事だ。黒桐が聞いたら腰を抜かすかもしれない。
数刻の後、私はようやく腰を上げた。
日は暮れ、それでも残り火の様に赤い光は部屋を濡らしている。
「貴方にお会い出来てよかった。また会いに来ますよ、今度は貴方を見付けた社員を連れて」
「私もですわ……また、いつの日かお会いしましょう」
別れの挨拶は短かった。
だがそれも――それ故に、それらしく思えて仕方が無かった。

こうして私は紅と黒に染まり行くその山を辞した。
片手に深山嬢からの土産を手にして。


その次の日。
いつもの私の事務所。
「――へぇ、所長にも華を飾る趣味があったんですね」
出社してきた黒桐は、竹の筒に飾られたそれを見るなりそうのたまわった。
「失礼な奴だな。私も華くらい飾る事もあるさ」
憮然として言い返すと、黒桐はなにやら得心したように二度三度と頷いている。
「やっぱり橙子さんも女性なんですねー。今回の事で見直しましたよ」
オマエに見直される程もとから落ちていない。その言葉の代わりにため息を返す。
もうすぐ式や鮮花も来るだろう。あいつらがこれを見て同じ様な反応をしたらどうしてくれよう。
そんな事を考えていたら、ふと思い出す事があった。
「黒桐、紅は何時だって後悔を呼ぶというのを知っているか?」
「それは嘘でしょう?薔薇の花言葉だってそういうのじゃなかったと思いますけど」
「紅一点の紅は石榴。薔薇といえば薔薇戦争。それにそいつの花言葉は“悲しい思い出”だ。
 なかなからしいとは思わないか?」
ニヤニヤ笑いながら言ってやる。こうやって密かに黒桐に要らない知識を与えてパンクを狙っているのだが、まだ余裕があるようだ。
彼はそうなんですか、と気の無い返事を返して再び仕事に戻った。
全くからかい甲斐の無い奴だ。嘘だと分かったのならそうと言えば良いだろうに。
苦笑いしながら私は彼女からもらったその華をもう一度眺める。
真っ赤に咲いた彼岸花は、空を映した窓からの風を受けてゆらゆらと揺れている。


あとがき

桜香:書き上げてみるとよく分からないSSでしたって感じの桜香です。贈っていいのかなぁとかなり思案しました。
月詠:死にたいのならはっきりと言いましょう。その方が楽に処刑してあげますのに。
桜香:死にたくないのでいいですー。
   もともとの主旨は橙子さんと比良坂初音を会わせたらどんなになるかなーってのでした。
雪那:桜香からオーダ来た時は「正気か?」と疑ったもんだ。
桜香:十分正気なので大丈夫です。結果はぜんぜん大丈夫じゃ無い気がしますけど。
   話題を変えて、蒼崎橙子さんときたら「蒼崎橙子は誰にも殺されない」ってのがどうしても来るよね。
雪那:確かにな、ありゃあスゲェ。群体として進化した“人類”って種みてぇだな。
月詠:ええ、それは本当ですね。何て綺麗な思考でしょう。木琴のバチが三本在るのと同じ位綺麗です。
桜香:またそういう、分かる人にしか分からないことを言う……
月詠:少なくとも大崎様には伝わるでしょうから。言葉とは限定条件さえ果たせばそれ以上を望まなくて良いのですよ。
終雨:……範囲に無い人間には、理解しようとして理解できぬ事柄を生む温床だがな。
月詠:範囲外から理解しようとする事自体が間違いですよ。そのときは範囲内に入ろうとするのが正解です。
桜香:それはムチャだしいつもと言ってる事と違う……
月詠:却下します。
桜香:はうぅ……
   それでは皆さん、この辺で。らっきょキャラは次は藤乃が書きたくなった桜香でした。